報恩講法話―日常の生活から、親鸞聖人の言葉や念仏の教えを聞いていきたい

挨拶 みなさんこんにちは、今年もJ寺さんの報恩講が今日から三日間勤まります。初日のお逮夜、初逮夜と言うのですが、私を昨年同様呼んでいただいて誠にありがとうございます。この村やったら餅屋の○○君、それから酒屋の○○君、○○ちゃん、○○ちゃんやらと同級生で今年○○歳になりました。今日は日常の生活から、親鸞聖人の言葉や念仏の教えを聞いていきたいと思います。


さて、私の家族は・・・(略)母は今年から定年になって今、夕方保育園でアルバイトをしています。亭主が定年退職になってこれまでいなかったのにじーっと家にいてかあちゃんのやることにいちいち口を出すのでいじくらしーなって、いじくらしいだけならいいけれど、伯母の友人は半年でノイローゼになったなんて聞いていますが、うちのお母さんもたいがいで、私が出かければ「いつも家におらん!」、二階の部屋におれば「部屋にとじこもってなんもせん」熱帯魚の世話していたら「熱帯魚ばっかりいじっとる」と、本人は気がつかないのでしょうが、まったくどこやらのうちの定年になったおやじと変わらんなぁと、三ヶ月に一回くらいは家出をしたくなります。念仏の教えを聞いているから家に我慢しておられるとは思っていません。どうかね。


それからじーちゃん89歳、ばーちゃん91歳。じーちゃんはここにもずっと呼んでもらっていましたが、こんなん言うてもいいのかまだらボケの状態ですが、いよいよ、くいちゅぶになったんか、昨日の夜、能登からとってきたコケを遅くまで処理していた母に「どんないね!さっき食べたばっかりやいね!」と電気ジャーに伸ばした手を現行犯逮捕されていました。まぁかったんかね。

ばーちゃんがね、この人は知る人ぞ知る一人っ子のわがままお嬢さん、でも孫である私たちをこんきいっぱいかわいがってくれました。いい子ぶるわけではないのですが、「いつかじいちゃんばあちゃんのお世話をしよう、恩返しをしよう」と密かに思い続けてきました。

残暑厳しい今年の9月に便所でかやってとうとう歩るけんがになってもうてオムツをしています。本山に同朋会館というところがある。真宗門徒が全国から奉仕団として上山される。私は補導といって共に生活させいただく仕事をさせていただいているが、ある時座談会で、「母親をなくしたばかりだ」「一日もお世話をすることなくいってしまって本当に寂しい、せめて少しでも看たかった。」とおっしゃった。すると別の方が親の介護を何年もしたと、そのうち口に出しても心にも思ってもいけないことが自分の中に起ってきた、「もうそろそろ死んでくれんかな」と。周りにいた人はどちらの話にもうなずいた。教導先生はいった。「人間というものは、親の命さえ自分の思い通りになったらいいと思っている、なんと業の深い生き物であろう」と。さあおばあちゃんの介護がはじまったという時、そんなことを思い出していた。

さて、はじめは「ありがとうね」「ごめんね」と繰り返し言っていたけれど、日に日にわがままいい放題のねねにかえったようになっている。そしてオムツをしてからあまり日が経たないうちに私が誰だかわからなくなしまった、部屋へ行けば「あんただれや」を繰り返す。

祖母が覚えているのは母、私の妹、妹の子どもたち。祖父のことは覚えているだろうか。同居している私の娘の名前は知らない、かわいがっていた犬を「ちん○たん」と呼んでいたが同じように呼ぶ。

もともと何時も自己アピールが意欲的でない私は、敢えて名のることなくオムツや食事の介助をしている。「母親がうら(自分)のことを、あんただれやというんや(いうよ)」と言っていた人の気持ちが、同じ立場になってようやくわかる。祖母にかわいがってもらったことを想えば、忘れ去られてしまった自分が悔やまれる。とはいえ、思い出してもらおうとか覚えてもらおうとも思えず、むしろ「恩返し」なんて生ぬるい感覚がとおらない現場で、自分が出来ることをやれればそれでいいと思う。


それから、(中略)いよいよじいちゃんも弱ってきた、今の所、在所は参っているけれどもかなり怪しげなもんやと。あんた得度してうちの役僧になったらちょうどいいわいね、と言っていた。得度というのは、僧侶になるということですね、度牒をいただく。お坊さんになりたくて本山に勤めた・就職したら、事務仕事だった、という話を聞いたことがありますが、その彼女も今では僧侶です。それから、たまに「得度と帰敬式・おかみそりとはなにが違うのか」と聞かれる方がいますが、帰敬式とおかみそりは同じことで、法名をいただくということで、仏弟子になる、仏弟子を名乗っていくという儀式で僧侶になるというわけではないですね。僧侶といっても浄土真宗は在家ですので、その二つになにかおおきな違いがあるといえば、度牒という僧侶たることを証明する書状があるかないかくらいでしょう。もっとも、うしなかしても本山に台帳みたいなもんがあるので、いついっかに誰が坊さんになったかちゃんと書いてあるから、問い合わせればすぐわかる。

話が横道それましたが、得度をする時は剃髪、すなわち落飾する。帰敬式も剃髪の儀がありますね。(ジェスチャー)彼は言った、「僧侶になるのはかまわないが、ハゲにするのは死んでも嫌だ。」女たちは「ほんなもん、すぐ生えてくるわいね、しばらくタオルでも撒くか、カツラでもかぶっとればいいがいね」と言うが、首を横に降るばかり。飾りを落とす、髪は「未練」だとも聞いています。そういえば坊さんの学校へ行っていた時、得度をうけた男たちは小さい魚が群れになるようにハゲ頭で群れていた。「落飾する」というのは何か途方のない、寂しさのような、心もとないものなのかもしれないことを彼があまりにも拒否するので改めて思います。


得度について『口伝鈔』の中のこんなエピソードが語り継がれている。あるとき聖光坊が、親鸞聖人に「国が恋しくなったから帰ります」と申し、門を出た。聖人のたまわく、「あたら修学者が、もとどりをきらでゆくはとよ」と。現代語で言えば、親鸞聖人が「あらー修学者が、もとどりを切らないで行くよ」かな。得度式ではこの本鳥(もとどり)を切ります。

その声が離れたところでも聖光坊の耳に入って、たちかえって、「聖光は出家得度して、ずいぶん経つ、しかるに本鳥をきってないといわれるのは、もっとも不審(むかつく)。このおおせ耳にとまったから道を行くことが出来ない。ことの次第をうけたまわりわきまえんがために、かえりまいれり」と言った。

そのとき聖人は、「法師には、みつのもとどりあり。いわゆる勝他・利養・名聞、これなり。この三箇年のあいだ法然上人が述べた法文をあつめ、国に帰って人をしえたげんとす(従がえようとする)。これ勝他にあらずや。よき学生といわれんとおもう。(すごい立派な学者やと思われようとする)これ名聞をねがうところなり。これによりて檀越をのぞむ(売れっ子になりお金が入る)こと、利養のためなり。このみつのもとどりをそりすてずは、法師(僧侶)といいがたし。よって、さ申しつるなり」と云々

勝他というのは、人に勝とうとする。人を従わさせるということ、名聞は、人からの自分の評価を気にする。よい、賢い人と思われたいと願う、利養は、お金や者など自分の利益を求める。それらによって売れっ子になってお金も入る。これらを名利心という。「あんた名利心がっちりつかんでますよ、僧侶がそんなではおかしい」そう親鸞聖人がいいあてた。


その三つ、どうですかね、この三つに絡んでこないことは、なかなかやる気になれない。ばあちゃんの介護ひとつにしてもね、元ケアワーカーだから母より上手な技術があるはずが(勝他)、私のことは覚えとらんから母にバカにされる。優しいかたいもんやと思われたい(名聞)、介護してやりたい、「恩返し」という目標(自己満足という利益、利養)が「あんただれや」で吹っ飛ぶ。どうですかね、勝他利養名聞である私にありありと出会うわけです。そんなことを苦々しい思いで日々感じています。


そういうことで、こんで家族構成は終わり。この前、あるお手の報恩講聴聞に行ってきました。講師は金沢の呉服屋さんで僧侶である荒木範夫さん、荒木さんを「あの方は菩薩様だ」と言う人がおる、優しくて深くて誠実な方、若い頃からかわいがってもらいました。

最近は、うちの若いもんに「ばあちゃん、寺に、ほないに、なんしにいくがか」と問われても答えられない人が多いんやと。みなさんはどうですかね。そんな中で、松任の松本梶丸先生が言うとったことだけれども、ある姑(しゅうとめ)さんから手紙をもらったと、大事な大事な孫が死んでしもたと、嫁が小さくなって泣いて泣いて、二人で泣いたと、ところが向かい合った時にふと姑(しゅうとめ)の根性に戻ったと。先生の話はこれだけだったのだけれども、荒木さんがおっしゃるには、これが聴聞したもんの言葉だと。「諦め」という言葉には、「あきらかに知る」という意味があると聞いています。ふとした時に姑(しゅうとめ)の根性に戻った私をあきらかに知らしめすのが念仏の教え。念仏の教えを聞いて別のもんになるんでない、わが身が知らされる。その私たちを親鸞聖人は、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生、のわたしたち、といった。「あんたたち」でない「わたしたち」です。

また、煩悩具足の凡夫、煩悩がつぶさにそなわっているんだ、こんな言葉はもうみなさんずっと聞かれて来たことと思います。

凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。(『一念多念文意』)

なんや、せっかく時間を作って話を聞きに来てもなんもいいことない。本当にほうかね?
(休憩)後半はこの和田稠先生の一周忌の記念として発行された本の和田先生の言葉にそって「寺に、ほないに、なんしにいくがか」聞いてみたいと思います。
J寺報恩講07.11.2(一部・修正あり)