聖人の持言と遺言

つねの御持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」と云々
本師聖人の仰せにいわく「某(それがし)親鸞閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」と云々『改邪鈔』覚如上人


教信沙弥は、平安時代中期の人です。晩年に妻子とともに加古川あたりに住み、その日暮らしの貧しい生活の中で、念仏に生き抜いたと伝えられる往生人です。亡くなったあと、遺体は川原の藪陰におかれて、犬が喰い鳥がつつくにまかせられていたと言われます。聖人はこの教信沙弥をご自身の生きる鑑と仰いでおられたと、伝えられます。
賀茂川ですが、私は次の光景が想像されるのです。それは聖人が僧侶として生きる道を選ばれる九歳の時、養和の大飢饉が都をおそいました。その中で無残に餓死した人たちの遺体で埋まった賀茂川。それが老聖人の胸に浮かんでいた賀茂川であったに違いありません。『親鸞に出会う言葉』東本願寺 寺川俊昭

親鸞聖人がお孫さんに語った二つのお話。教信沙弥のように生きたいと常々おっしゃっていたというのだけど、孫に話すことなんだろうか、なんだか情景が浮かばない。『改邪鈔』を見ると念仏禁止令により流罪になったこと、その時から僧籍にこだわることなく、僧にあらず、俗にあらざる生き方をしたという教信沙弥のようになった、と言ったのだと思った。目指すのでなく、これでいいというような言葉なのだろう。そして大事なのはこの後の言葉だろう。

これによりて「たとい、牛盗とはいわるとも、もしは善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるように振舞うべからず」とおおせあり。『改邪鈔』覚如上人

そして、「魚にあたうべし」については、この次に続く言葉を忘れてはならない。「喪葬を一大事とすべきにあらず。」葬式や弔うことを軽んじるのでなく、そこに仏法の信心がないなら本末転倒だということ。

「某親鸞 閉眼せば、賀茂河鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」と云々 これすなわち、この肉身をかろんじて仏法の信心を本とすべきよしをあらわしましますゆえなり。これをもっておもうに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし。『改邪鈔』覚如上人

親鸞聖人の言葉を直に聞いた、お孫さんからのご伝達。