善法釋尼妙観通夜説法

みなさん本日は善法釋尼妙観さん、○○さんの葬儀式、お通夜ということで、お集まりいただき誠にありがとうございます。私は○○と申します。このような大切な場に住職が来るべきであるのに、当寺は寺だけでは食べていけないので、仕事をしておりまして、介護の現場職員であるため勤務交代も難しく今日は私たちが勤めさせていただくこととなりました。本当に申し訳ございません。


住職は私の添いあいなのですが、前住職の私の父が亡くなってからずっと、月忌参りを勤めさせていただいていまして、○○家のみなさんとはたくさんの思い出があります。○○のばあちゃんは「あんた、あんた」と呼んでかわいがってくれました。初めて私の下手なお経を褒めてくれた方で、「あんたのお経はうまい」と、そうやって自信をつけてくれていた気がします。今夜も初めて母と一緒にがんばって勤めたのですが、「うまかったよ」っていってくれている気がしています。
月忌参りに行くと、「あんた、まっとったがや、こんなにもらってね、こんなにもっとってもどんならんし」といっていろんなものをいただきました。お互いいろんな話をして、学校の先生をされていたということで、新聞の切抜きを持ってこられ、娑婆のこと、ありがたい話、いろんなことを教えていただいていました。


ばあちゃんがデイサービスに行くようになってからずっと、奥さんがねんごろに、こんなにねんごろにされる方は他におらんと太鼓判をおさしていただきたいくらい、今でもきちんと勤められています。「ばあちゃんなんも心配いらんよ」といっていたこともありました。ほのうち、病院に入院、それから温泉病院におられ、「ばあちゃんどうしとるかいね」と尋ねていた。○○のご家族、嫁に行った孫娘さんが毎日一日も欠かさんと誰か必ずばあちゃんのところに行っていたのを聞いておって知っていたので、ばあちゃんのうれしそう顔が浮かんだし、「食べ物がおいしい」と、奥さんに「これ持ってきてほしい、あれ持ってきて欲しい、あんた来てくれるががうれしい」とおっしゃていたのを聞いていたので、「ばあちゃんは幸せもんやなぁ」と思っていました。元気にしているのを知っていたから、二日の真夜中の突然の訃報(ふほう)に、「うちのかかなんゆうとらん」と、夢見とるがかと思いました。頭ぼーっとしました。衣に着替えて、○○さんの家に向かった、病院からようやく帰ってこられたばあちゃんに最初に言ったのは「ごめんね、私一回もお見舞いに行かんかった、こんなことになるなんて、ごめんね」ばあちゃんはよく私を泣かせました。月忌参りに行くとたいがい「私はね、あんたのお父さんが大好きやった」と言われて、父を想って二人で泣きました。そして今日は、今までいう機会がなくていえなかった言葉を、「ばあちゃん、私もばあちゃんのこと大好きやってんよ、いろいろありがとう。ご苦労様でした。」


今日は納棺の前にお勤めをして納棺の儀にご一緒していたのですが、ばあちゃんの指を、なんでこんなことをはっきり覚えているのか、懐かしいばあちゃんの指を久しぶりに見ました。久し振りだけど見おさめなんだなと思いながら。「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。」というお葬式の還骨勤行(還える骨)にあげられる、「白骨の御文」の言葉を思っていました。


はじまりの言葉は、「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。」(生きとし生きるもののはなかいありさまをよく見るならば、本当にはかないものは、この世の最初から最後までの全てがそうであり、一生も幻のようなものです。)


我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。(私が先か、あの人が先か、今日かもしれない、明日かもしれない。後に残る人、先に逝くいのちの数は、木の根もとのしずくや葉っぱの先の露よりも多い。)されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。(朝に元気な顔であっても、夕方には白骨となってしまうような身なのです。)


すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。(無常(常ではない、変わらないことはない)の風が襲いかかって来れば、ただちに両眼は閉じて、息は永遠に絶えてしまいます。美しい顔もみなしく朽ち、桃やすももの花のような美しさは消え失せて、家族や親族が集まって嘆き悲しんでも、どうすることも出来ません。)


さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。(やむなく野辺の送りをして(火葬して)夜の煙となってしまえば、だだ白骨だけが残るのです。「哀れ(悲しい)」といってもとうてい口に尽くせないものがあります。ですから、生きていることがはかないというのは、老いた物より若い者のほうが先に亡くなって行くこともあるという、定めなきことですから、全ての人は早く後生の一大事(念仏の教え)を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみ念仏を申していきましょう。あなかしこ、あなかしこ。)


葬儀の度に、「後生の一大事を心にかけよ」と呼びかけられてきた伝統があります。後生とはなにか、後の生と書いて後生と呼び、それは簡単に言うと念仏の教えということであると、念仏の教えに出会うと、「前念命終 後念即生」という、これが後生なんだ。それでは念仏の教えにあうとどうなる。ばあちゃんはなんで念仏の教えにあんなに熱心やったんや。そういうことを真剣に問うことの始まりがこの通夜ということなのかもしれません。


「ここにいる人の誰一人として、最初からお念仏の教えはすばらしいと思っていた人はいないと思います。はじめて念仏の教えに触れた人は、ほとんど例外なく「そんなものでどうなる」と、そっぽを向く。私たちは誰一人として、そのことにうなずけないのです。でも浄土真宗はそのこと一つです。浄土真宗から「ただ念仏すべし」を除いてしまったら何も残りません。」(『親鸞の仏教と宗教弾圧―なぜ親鸞は『教行信証』を著したのか』藤場俊基著 明石書店)これは私の先生の藤場俊基先生の言葉です。


この「ただ念仏すべし」という言葉、私のじいちゃんが『歎異抄』という書物のお話をよくしていたものですが、『歎異抄』の二条を思います。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(この親鸞においては「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと」よき人のお言葉をいただいて、信ずるほかに別のわけはございません。)


念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。(念仏は、本当に浄土に生まれる種なのか、また、地獄に落ちる業になるのか。総じてもって存知せざるなり。わからない。)だから唯念仏なんだ。自分がいいと思って選ぶものでない、そんな自分の思いが木っ端微塵になるのが、そんな自分の価値判断や思いが何の役にもたたんことを知らされるのが念仏の教えです。念仏していいもんになっていくのでない、わが身が諦(諦めという字を書く)かに知らされる、それが念仏の教えであります。まとまらない話になりましたがこれで通夜説法の代わりとさせていただきます。