お講でお話

(前略)若い時に出会い、学んだ、親鸞聖人の教えに、いつか、戻ってきてほしい。家の宗教に自信をもって。と、声をかけるんです。
とおっしゃっていました。

自信を持ってです。
私たちはお互いに浄土真宗が家の宗教である生活をしています。
○さんが家の宗教に自信を持っていいとおっしゃるのは、
親鸞聖人の教えに確かなものを感じているのだと思います。
確かですから、教えは時に厳しいこともあります。
念仏称えたらいいことがおこるわけではないし、
悪いことから回避されることもない。今受験のシーズンですから、こんな時ばかりは孫たちもうちの仏さんや亡くなった家族に「試験に受かりますように」と手をあわすようですが、残念ながら効果は約束されない。
私なんかは不都合なときもあります。
先日母に運転手を頼まれてご門徒のお見舞いに行ってきた。
かあちゃんは昨年とうちゃんが亡くなってから弱って、耳が遠くなって、会話がまわって、そのうち入院して、…かあちゃんは違う人みたいでした。
お昼御飯の時間でしたが、食べないでベットに横たわっていたかあちゃんに、母は、「ああ、どうしたんね。」といって体をなでた。「寒いからもうしばらくここ(病院)におって、春になったら出るがんに、がんばらんなん!」と声をかけた。かあちゃんはうなずいた。家にいるときよりもちゃんと会話ができた。
私は、病気で弱って、がんばっているひとに、がんばろうといえない。がんばろうというのは酷なのかもしれないと思えて、何もいえなくてかたまっていた。いまだにうまい言葉が見つかりません。子どもみたいだな、お世話になった人に病気のお見舞いができないなんて子どもより悪いかもしれません。

もう一つ考え込んでしまったことがあります。昨年10月28日におじいちゃんとおばあちゃんの本山須弥壇収骨に行って来ることができた。おじいちゃんもおばあちゃんも喜んでくれると思って自分がうれしい。
本山の仕事をしていたときに、何度となく連れ添った覚えがあって、こんな思いやったんかなぁと、懐かしさと自分が収める感激があった。

それで、参拝接待所で須弥壇収骨の手続きの為に小さな入れ物に入れた骨を持って列をついていると、私の後ろの60代半ばの女性がその後ろの60代半ばの女性に声をかけていた。
あなたもご主人の納骨に来られたの?
いいえ、私は母のお骨を納めに来ました。
あらごめんなさい、私つい・・・主人が亡くなってから辛くてどうしょうもなかったけれど、少し落ち着いたの・・・
・・・前向きにね、前向きに
という感じの会話だった。須弥壇収骨をご縁に小さな出会いがあって素敵だなと思った。そして、死に別れた人にかける常套句(決まり文句)が「前向きに」という言葉であること、ちょっと発見した気がした。私はいったことがないし、これからもいわないだろうな。みなさんはどうでしょうか
けれども、
がんばることもできなくて 前向きにもなれなくても
念仏一つでたすかる。これが浄土真宗の確かな教えです。
(おばあちゃんたちはここでうなずいた。)

「果遂の願」(かすいのがん)という言葉があります。
果遂は「はたしとげる」ということ。『仏説無量寿経』 第二十願
人々に、私の呼びかけが届いて、浄土に思いを馳せ、努力し、浄土に生まれようとするものが、果たし遂げることが出来なければ仏にならないという誓い。
果たし遂げることが出来ないならあきらめないという誓いであるという。
願うことをあきらめない。呼びかけ続ける。
正信偈でも
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。 我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。
私がどんなものでも、常に照らして下さる、あきらめずに呼びかけてくださる。
総序のごもんに見ますと(親鸞聖人が書かれた教行信証の始まりの部分)
ひそかにおもんみれば 難思の弘誓は難度海を度する大船
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり
生きることが辛い迷いの人生を生きている(難度海)
その深い迷いは無明の闇。明りがない。
そこには必ず弥陀の救いの船がある 
なぜ必ず弥陀の救いの船があるかというと、「機法一体」という。闇が光によって知らされるように、私がどんなものであるかを知らされるときにどんな時もおさめ取って捨てない阿弥陀仏の誓いに出会う。

生きることの迷いに気づかされたものには必ず誓いの船がある。教えは愚痴無智な私を知らす。道理に暗い、と言いますね。深い闇に迷っている、その闇を照らす、知らす 智慧の光。たとえ千年の、あるいは始まりがないほどの闇でも破る光がある。帰命尽十方無碍光如来南無阿弥陀仏と同じ意味です。
歎異抄」の、善人(自分の力でうまくやっていこうという人)でさえも往生する 悪人(他力をたのむしかないもの)は言うまでもない
そんな言葉にうなずかれます。