金沢 竹中智秀先生を偲ぶ会4 法話弧野院長メモ後半

法話:大谷専修学院 弧野秀存院長


(前からの続き)法話弧野院長メモ (さぼってて遅くなりました、すみません。)

17願 諸仏称揚の願 たとい我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ。

私共の人生においてその生活の現場において出会っていく人たち、諸仏の発見として「汝、念仏に生きよ」とうながし時には叱責の声に。諸仏にうけ、17願 現生正定聚の願として立ち上がってくる。亡くなる直前まで先生が語っておられた。最後の肉声を聞いた。


第十一願の願名は必至滅度、成就文は下巻に、

其有衆生、生彼国者、皆悉住於正定之聚・・・
「それ衆生ありてかの国に生ずれば、みなことごとく正定の聚に住す。所以は何ん。かの仏国の中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり。(真宗聖典44)」

親鸞聖人は通常読みと異なって、「生まれんとするものは」と「もの」と実者として、具体的に人。そのことを手がかりに、現生において正定聚不退転の位に真宗の教えが展開されていく。現場において正定聚に住す、正覚の華を開くべき歩みである、ならば具体的にどのような、真宗真宗の教えのいのちを表現することになるのか、後に続く者に語った。「願生」冒頭に書きましたように、信国先生以来学院作り道標がかけられている。お寺・職場において現生正定聚の証(あかし)どうあらわし勝ち取っていくか。何かそのことの結論、結論ない一人一人こたえていくことであると思う。一つの道標・方法を記されているのは明らかです。


三宝処への帰依」、竹中先生1976、昭和51年に教団問題がヒート、ピークのとき、その時に久留米教区で「無三宝処への往生」。亡くなる直前『教行信証』の公正がお命縮めたという話が出たときに
私が「無三宝処への往生」を再版しようと、「無三宝処への往生」なんとか。読まないと「もぐり」だと、勝手に思っている。菩薩荘厳第八の課題。不虚作住持功徳、仏の覚り、必ず菩薩の大慈悲の行として逗留、衆生の真っ只中に流れていく。無仏の世界へ、くわしくは本に。


南無阿弥陀仏と念仏申すことはやはり誹法の真っ只中へ、勇気を持って一歩踏み出していく、内実を持った本願念仏の仏法であろう。特に晩年の先生は、若い人の耳にたこが出来るくらいに三つの言葉をおっしゃった。


一つは阿弥陀如来の本願を「えらばす、きらわず、みすてず」と簡潔に、繰り返し伝えてくれました。もう一つは「はじめに尊敬あり」。「えらばす、きらわず、みすてず」の阿弥陀如来の光に触れたものは、現実の人と人とがぶつかり合う真っ只中のなかで「はじめに尊敬あり」といわれた。三つ目は長井君どうかな?、「だからこそ」というお言葉でした。そんなことができるのかな、聞くとこころ開かれてくるものがある。


生活の現場でその人を大事に、ところが現実の現場で吹っ飛んでしまう、「だからこそ」


教学の言葉で言えば欲生心。学院で語られた言葉、みんなが生活しているそれぞれの現場、みんなで聞き、勇気の希望を持っていく言葉。今日初めて学院のこういう集まりにこられた方もおるだろうが、竹中先生は、先生というより歩みの最先頭、一番最初の道を歩んでくださった、長男坊。信国先生の長兄。竹中先生の歩みは「えらばす、きらわず、みすてず」「はじめに尊敬あり」「だからこそ」。竹中先生が誰であったか、伝わったらうれしい。