御消息捨遺611(善鸞義絶)

(三)おおせられたる事、くわしくききてそうろう。なによりは、あいみんぼうとかやともうすなる人の、京よりふみをえたるとかやともうされそうろうなる、返々ふしぎにそうろう。いまだ、かたちもみず、ふみ一度もたまわりそうらわず、これよりももうすことなきに、京よりふみをえたるともうすなる、あさましきことなり。

哀愍坊とかという人が親鸞の手紙(ふみ)をもって来たということですが、かえすがえす不思議です。(哀愍坊を)見たことはありませんし手紙をあげた事はありません。(あなたが)京都から手紙を得たというのはあさましいことです。

また、慈信房のほうもんのよう、みょうもくをだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと、人に慈信房もうされてそうろうとて、これにも常陸・下野の人々はみな、しんらんがそらごとをもうしたるよしを、もうしあわれてそうらえば、今は父子のぎはあるべからずそうろう。

また慈信房(善鸞)の(伝えておられる)法門の様は、見たことも聞いたことも無い、知らないことを、慈信一人に、夜、(私)親鸞が教えたるなりと、(ご門徒の)人に慈信房が申されたことで、(親鸞が息子一人に特別なことを教えたということをご門徒が聞いて憤慨した。)常陸・下野(しもつけ)の人々はみな、親鸞がそらごと(虚言)をいったと信じた、今は父子のぎ(義)はあるべからずそうろう。

また、母のあまにもふしぎのそらごとをいいつけられたること、もうすかぎりなきこと、あさましうそうろう。みぶ*612の女房のこれへきたりてもうすこと、じしんぼうがとうたるふみとて、もちてきたれるふみ、これにおきてそうろうめり。慈信房がふみとてこれにあり。そのふみ、つやつやいろわぬことゆえに、ままははにいいまどわされたるとかかれたること、ことにあさましきことなり。よにありけるを、ままははのあまのいいまどわせりいうこと、あさましきそらごとなり。また、この世にいかにしてありけりともしらぬことを、みぶのにょうぼうのもとへも、ふみのあること、こころもおよばぬほどのそらごと、こころうきことなりと、なげきそうろう。

また、母の尼にも不思議なそらごと(虚言)をいいつけられたること、いうまでもない、あさましい。みぶの女房(親鸞の娘)が持って来た慈信房から給わったという手紙を見せてもらった。その手紙はつやつやいろわぬことゆえに、継母(恵信尼)にいいまどわされたと書かれていること、特にあさましい。(親鸞の側にいる人にまでいいまどわした)

まことにかかるそらごとどもをいいて、六波羅のへん・かまくら(鎌倉)なんどに披露ひろうせられたること、こころうきことなり。これほどのそらごとは、このよ(世)のことなれば、いかでもあるべし。

まことにかかる虚言などをいいて、六波羅の辺り・鎌倉なんどに披露すること、心憂きことなり。(しかし)これほどのそらごとは、この世のことなれば、いかでもあるべし。

それだにも、そらごとをいうこと、うたてきなり。いかにいわんや、往生極楽の大事をいいまどわして、ひたち・しもつけの念仏者をまどわし、おやにそらごとをいいつけたること、こころうきことなり。第十八の本願をば、しぼめるはなにたとえて、人ごとにみなすてまいらせたりときこゆること、まことにほうぼうのとが、また五逆のつみをこのみて、人をそんじまどわさるること、かなしきことなり。ことに、破僧罪ともうすつみは、五逆のその一なり。親鸞にそらごとをもうしつけたるは、ちちをころすなり。五逆のその一なり。このことども、つたえきくこと、あさましさ、もうすかぎりなければ、いまは、おやということあるべからず、ことおもうことおもいきりたり。三宝・神明にもうしきりおわりぬ。かなしきことなり。わがほうもんににずとて、ひたちの念仏者みなまどわさんとこのまるるときくこそ、こころうくそうらえ。しんらんがおしえにて、ひたちの念仏もうす人々をそんぜよと、慈信房におしえたるとかまくらまできこえんこと、あさましあさまし。
*613五月廿九日 在判
慈信房御返事

それだにも、そらごとをいうこと、うたてきなり。いかにいわんや、往生極楽の大事をいいまどわして、常陸・下野の念仏者を惑わし、親にそらごと(虚言)をいいつけたること、こころ憂きことなり。第十八の本願を、しぼむ花にたとえて、人々に棄ててしまえといったと聞いている、誠に法謗(ほうぼう)の咎(とが)、また五逆の罪を好んで、人を損じ惑わしたこと、かなしきことなり。ことに、破僧罪ともうす罪は、五逆のその一なり。親鸞にそらごとをもうしつけたるは、父を殺すなり。五逆のその一なり。この事ども、伝え聞くこと、あさましさ、申す限りなければ、今は、親ということあるべからず、子と思うこと思い切りたい。三宝・神明に(誓って)申しました。悲しいです。自分(善鸞)の法門とそぐわないからといって、常陸の念仏者みな惑わそうとすると聞き、こころが憂います。親鸞の教えによっている、常陸の念仏申す人々を(損ず―こわす。傷つける。痛める。害する。)痛めつけよと、慈信房に教えられたと鎌倉まで聞こえます、あさましあさまし。
五月二十九日 在判
慈信房への御返事


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