御消息574-578

(慈信房とは息子善鸞のこと。数字は真宗聖典頁数。)
(十一)九月二十七日の御ふみくわしくみそうらいぬ。さては、御こころざしの銭五貫文、十一月九日にたまわりてそうろう。さては、いなかのひとびとみなとしごろ念仏せしは、いたずらにてありけりとて、かたがた、ひとびとようようにもうすなることこそ、かえすがえす不便のことにてきこえそうらえ。ようようのふみどもをかきてもてるを、いかにみなしてそうろうやらん、かえすがえすおぼつかなくそうろう。慈信坊のくだりて、わがききたる法文こそまことにてはあれ、ひごろの念仏はみないたずらごとなりとそうらえばとて、おおぶの中太郎のかたのひとびとは、九十なん人とかや、みな慈信坊のかたへとて、中太郎入道をすてたるとかやききそうろう。いかなるようにてさようにはそうろうぞ。詮ずるところ、信心のさだまらざりけるとききそうろう。いかようなることにて、さほどにおおくのひとびとのたじろきそうろうらん、不便のようとききそうろう。また、かようのきこえなんどそうらえば、そらごともおおくそうろうべし。また、親鸞も偏頗あるものとききそうらえば、ちからをつくして、『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』の文のこころども、二河の譬喩なんどかきて、かたがたへ、ひとびとにくだしてそうろうも、みなそらごとになりてそうろうとこきこえそうろうは、いかようにすすめられたるやらん、不可思議のこととききそうろうこそ不便にそうらえ。よくよくきかせたまうべし。あなかしこ、あなかしこ。
*576十一月九日 親鸞
慈信御坊
真仏坊・性信坊・入信坊、このひとびとのこと、うけたまわりそうろう。かえすがえす、なげきおぼえそうらえども、ちからおよばずそうろう。また、余のひとびとのおなじこころならずそうろうらんも、ちからおよばずそうろう。ひとびとのおなじこころならずそうらえば、とかくもうすにおよばず。いまは、ひとのうえももうすべきにあらずそうろう。よくよくこころえたまうべし。
慈信御坊 親鸞

(十二)さては、念仏のあいだのことによりて、ところせきようにうけたまわりそうろう。かえすがえすこころぐるしくそうろう。詮ずるところ、そのところの縁ぞつきさせたまいそうろうらん。念仏をさえらるなんどもうさんことに、ともかくもなげきおぼしめすべからずそうろう。念仏とどめんひとこそ、いかにもなりそうらわめ。もうしたまうひとはなにかくるしくそうろうべき。余のひとびとを縁として念仏をひろめんとはからいあわせたまうこと、ゆめゆめあるべからずそうろう。そのところに、念仏のひろまりそうらわんことも、仏天の御はからいにそうろうべし。慈信坊がようようにもうしそうろうなるによりて、ひとびとも御こころどものようようにならせたまいそうろうよし、うけたまわりそうろう。かえすがえす不便のことにそうろう。ともかくも、仏天の御はからいにまかせまいらせさせたまうべし。そのところの縁つきておわしましそうらわば、いずれのところにても、うつらせたまいそうろうておわしますように御はからいそうろうべし。慈信坊がもう*577しそうろうことをたのみおぼしめして、これよりは余のひとを強縁として念仏ひろめよともうすこと、ゆめゆめもうしたることそうらわず。きわまれるひがごとにてそうろう。おどろきおぼしめすべからず。ようように慈信坊がもうすことを、これよりもうしそうろうと御こころえそうろう、ゆめゆめあるべからずそうろう。法門のようも、あらぬさまにもうしなしてそうろうなり。御耳にききいれらるべからずそうろう。きわまれるひがごとどものきこえそうろう。あさましくそうろう。入信坊なんども不便におぼえそうろう。鎌倉にながいしてそうろうらん、不便にそうろう。当時それもわずらうべくてぞ、さてもそうろうらん。ちからおよばずそうろう。奥郡のひとびと、慈信坊にすかされて、信心みなうかれおうておわしましそうろうなること、かえすがえすあわれにかなしうおぼえそうろう。これもひとびとをすかしもうしたるようにきこえそうろうこと、かえすがえすあさましくおぼえそうろう。それも日ごろひとびとの信のさだまらずそうらいけることの、あらわれてきこえそうろう。かえすがえす、不便にそうらいけり。慈信坊がもうすことによりて、ひとびとの日ごろの信のたじろきおうておわしましそうろうも、詮ずるところは、ひとびとの信心のまことならぬことのあらわれてそうろう。よきことにてそうろう。それを、ひとびとは、これよりもうしたるようにおぼしめしおうてそうろうこそ、あさましくそうらえ。日ごろようようの御ふみどもをかきもちておわしましおうてそうろう甲斐もなくおぼえそうろう。『唯信鈔』、ようようの御文どもは、いまは、詮なくなりてそうろうとおぼえそうろう。よくよくかきもたせたまいてそうろう法門は、みな詮なくなりてそうろうなり。慈信坊にみなしたがいて、めでた*578き御ふみどもはすてさせたまいおうてそうろうときこえそうろうこそ、詮なくあわれにおぼえそうらえ。よくよく、『唯信鈔』・『後世物語』なんどを御覧あるべくそうろう。年ごろ、信ありとおおせられおうてそうらいけるひとびとは、みなそらごとにてそうらいけりときこえそうろう。あさましくそうろう、あさましくそうろう。なにごともなにごとも、またまたもうしそうろうべし。
正月九日 親鸞
真浄御坊