「末法の時の仏弟子」佐野明弘師

末法の時の仏弟子」という視点から、
仮(の仏弟子)は聖道の諸機、浄土定散。今の自分を種として向かって行く、因より果に向かう。今あるのは希望と努力、努力は自己肯定。これは救済が仏果。
偽(の仏弟子)は九十五種の邪道、六十二見。いろんな道で幸せを求める、仏教で言うと邪道。これは幸福 (になる) の宗教。

末法の問題の善鸞義絶。みんな崩れて行く、教えを聞いたものが皆離れていく。関東の門徒壊滅的に、奥羽、下野(高田・真仏)、常陸、下総(よこそね門徒・性信坊)、関東全体が崩壊、みんなバラバラに離れてしまった。同一の信心をいただいているものと信頼していたものが、バラバラに崩れていった。今更のように末法五濁(ごじょく)ということを深く感ぜられてきた。

御消息574-578、血脈文集596、御消息捨遺611(善鸞義絶)拝読。(後日掲載予定)
血脈文集596、御消息捨遺611(善鸞義絶)は同じ日、長文。親鸞聖人は八十四歳。
親鸞聖人はもう一度末法ということを、正像末和讃を書く時のはじめに、

康元二歳丁巳二月九日夜
寅時夢告云(とらのときゆめのつげにいわく)

(親鸞聖人八十五歳、二月九日は住蓮坊・安楽坊が死罪になった日)
夢告ということもたいへん意味を持つのですが、

弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり

末法の時、誰も救われなくなった時に、

釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまう
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ

如来の遺弟悲泣せよ」という言葉からはじまる。如来にあうことができない。五濁の世・無仏の時、仏弟子といっても仏を知らない。仏様自身がわからない。仏様がどんなお方だったか、在世の時代には会えてわかった。(阿難はわからなかったのですけれども。)難しい教理はわからなくても尊い人だと感ずるような・・・像法の時は直接教えを聞いた人が残っている。末法の時は仏様が何のことかわからない。五濁の世は、欲の満足を幸せとする。思いを満たすことが幸せになってくると書いてある。その二つでもう一度仏弟子ということを考えていった。

「真の仏弟子」とは(先ほど発題にもあったように)「仏教に随順し、仏意に随順す」これを「仏願に随順す」(真宗聖典216)教えに随順、意はこころ、こころに随順、願に随順。ところが仏ということがわからないからすくいがわからない、涅槃が自分のすくいとならない。仏法によってすくわれようと誰も思わなくなった。

親鸞の時代は生死(のまよい)から必死に出て、今生(こんじょう)のうちにどうにか、ということがあった、それを一大事と言うてきた。

ところが仏道を求めるということが成り立っていかない。仏になりたくて求めているのでない。とはいえ道を求めていないかというとそうではなく、仏道を求めながら、別の道を求めている。
正像末和讃が書かれる大きな機縁が末法五濁・・・

正法の時機とおもえども
底下の凡愚となれる身は
清浄真実のこころなし
菩提心いかがせん(正像末和讃14)

「発菩提心いかがせん」、「仏弟子」とは自分が名のって拠り所でするべきものでない。
そこをとおして親鸞聖人が「弥陀の本願信ずべし」という声を聞いたから、いつの間にかまた仏道ということに立っていた。もう一度迷いに立ち返って、もう一度聞く原点に。いよいよこれから聞くという意欲がある。

そうしてみるとそこに外儀は仏教といいながら、(参考:五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり 愚禿悲歎述懐7 )仏教を求める気もない生活をしているものに「仏道にであう」・・・聞いていくとあっていく。往生の信心は常にこれから聞かねばならない、聞くべき身に帰る。目覚め。

法蔵菩薩と世自在王仏との出遇い、法蔵菩薩は仏にあったら発意が起こってきた。感動が願いに変わる。発心、全て者が救われる世界を展開したい、どうしたらよいかと問う。世自在王仏は人のこたえをきいてもだめだ、自分の願いでなければならないといって、法蔵は世自在王仏に二百一十億の世界を見せてもらう。二百一十億の世界の一人一人の生涯。その生涯は喜び・悲しみがあり、そしてどのようにいのちを終わっていったかを見た。どのいのちにも手をあわせねばならないような静けさがあった。・・・そして四十八の願を建てた。
願は最初にあるべきなのに、願が展開する。聴聞は願いに帰る。出処(でどころ)に帰り続け、帰り続け、願に帰る。「雑行を棄て本願に帰す」。

末法ということにおける仏弟子、一般的な仏弟子の姿におさえきれない、そういうことが今私の課題です。