我が啓蟄 

他力の救済

 我、他力の救済を念ずる時は、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ。
 我、他力の救済を念ずる時は、我、物欲の為に迷はさるること少く、我、他力の救済を忘るる時は、我、物欲の為に迷はさるること多し。
 我、他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明し、我、他力の救済を忘るる時は、我が処するところに黒闇覆う。
 ああ、他力救済の念は、よく我をして迷倒苦悶の娑婆を脱して、悟脱安楽の浄土に入らしむが如し。
我は実に此の念によりて、現に救済されつつあるを感ず。もし世に他力救済の教なかりせば、我は終に迷乱と悶絶とを免れざるべし。
清沢満之

「追善」の依頼。私にとっては「追善」というのは前年に亡くなった方を縁として法会を勤めること。決して亡くなった人のために読経(善)するのではない。法会であるかぎり法話がある。死者のためにお経をあげる会でない、念仏の教えに会う場なのだと申して話す自分を追い込む。何が聞きたいか、何を話したいか、悩まないことのほうが少ない。いっそ読経だけなら楽なのに、お葬式のフギンのように。
我が啓蟄
月参りの度に「なま(ん)だぶ、なんま(ん)だぶ、なんま(ん)だぶ…」と称えた今は亡き人を偲ぶ。念仏者がほとんどおられなくなった。祖父も祖母も亡くなり、念仏に生きた方がほとんどいなくなった。その生きざまは、生活に念仏があって当たり前だった。念仏が生きることだった。その念仏はねがったりすがったりするものではなくて、感謝だった。
   我、他力の救済を念ずる時は、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ。

苦悩
生きてあるかぎり  苦悩するものを人間という
苦悩を除くのが宗教なら、
生きながら死者にする秘儀であろう。
和田稠  『同行』1997年1月発行 編集発行 和田浩  より