経道経法断絶

『諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』に言わく、支謙三蔵訳
しょぶつあみださんやさんぶつさるぶつだんかどにんきょう に のたまわく

「我般泥洹して去いて後、経道留止せんこと千歳せん。
われ はつないおん して ゆいてのち、きょうどうるしせんことせんざいせん。

千歳の後経道断絶せん。我みな慈哀して特にこの経法を留めて、止住
せんこと百歳せん。百歳の中に竟らん。
せんざいののち きょうどうだんぜつせん。われ みな じあいして ことに このきょうぼうをとどめて、しじゅせんこと ひゃくさいせん。ひゃくさいのうちにおわらん。

乃し休止し断絶せん。心の所願にありてみな道を得べし」と。略出
いまし くしし だんぜつせん。

愚禿抄(親鸞) 真宗聖典434 

真継伸彦
「私(釈尊)がこの世を去って後、千年間経典をとどめよう。千年の後に、経典は滅びよう。私はしかし、すべての衆生をいつくしみ哀れむ。それゆえに、ことにこの経のみをとどめて、なお百年存続せしめよう。百年ののちには、この教えも滅びよう。しかしいままさに滅びようとしている時にも、心に願いをいだけば、すべての者が悟りを得るであろう。」と。(略出)
真継伸彦現代語訳 親鸞全集3「法蔵館

私の意訳は、経道と経法の違いを考える。発表後にアップしたいと思う。
正法、像法、末法末法に落在する我。