それぞれの業で

業というのは、生まれ、育ち、背負っているもの、そして出会ったもの。今の私がどんなものであるかということは、出会ったものが実は大きいと思う。
今日は楽しい坊守会、「坊守会って忙しいんだな、月に何回あるんだ?」なんて言われながら。そういや、教区の坊守会と、組の坊守会があるから必然的に回数は多くなるかもしれない。役員ならなおのこと。坊守といってもそれぞれ違う。お寺で生まれてあとをとったもの、嫁いだもの、寺に生まれたわけではないが寺に嫁いだもの。それぞれの住職の寺や本山へのかかわりによって、坊守の考えも、がらっと違ってくる。先輩たちががんばってくれたおかげで、住職の配偶者ではない坊守もいる。
そこには、善いも悪いもなく、それぞれの業で考えてゆく。女同志なら蓮如さんが言った談合が意外にやりやすい。だから坊守会が好きだ。
「これまでで一番勉強したのは(僧侶の学校)大谷専修学院にいたときなの?」と訊ねられた。学院では寝てばかりいた。一番勉強したのは23・24歳からの同朋会館嘱託補導時代だと思う。足かけ10年余り、同朋会館で学んだ。なぜ同朋会館に出会ったか。それは祖父母がひきあわせ、私が行くことを祖父母がこの上なく喜んだ。あのせんべいを持って帰って渡すとうれしがった。だから同朋会館に相応しいものになりたいとがんばっていたと思う。ちょうど出会った人たちもよかった。「こんな人になりたい」と思う方がたくさんおられた。

いろんな問題に出会って、いろんな人の繋がりができた。「坊守」「同朋会(運動)」「お内仏の荘厳」「本山の歴史」なんていうのは、専修学院ではあまり問題にならなかったことだと思う。父が亡くなって寺をしなければならなくなった時、学んできたことの意味がわかった気がする。それでもまだまだだけど。「こんな人になりたい」と若かりし思った人々には、まだまだなれていない。