笑えないという小さな苦悩

今日はお墓を移動するからということで、読経を頼まれた。本家と分家の4人の方が参られて、三つの墓の前で、阿弥陀経、嘆佛偈、正信偈をあげた。短念仏のあと、同朋奉讃式の和讃を順にいただいた。
二つ目の墓の前で、嘆佛偈をあげていたとき、その家のおじいちゃんがぷりぷりぷりとおならをした。聞こえないふりをしたかったが、もう一度ぷっとした。お経を読む声が震えた。心を静めて読経に集中しようと思ったが、次におならが聞こえた時、おじいちゃんは私の側を離れ、本家のお父さんが咳払いした。それでまたお経を読む声が震えて。なんとかなんとかふきださないように、聞こえなかったことにして、悲しいことを思い出そうとして、そうしたら、友だちのお母さんがぷりぷりおならをすることを思い出してしまってお経を読む声が震えて。辛かった。ああ、嘆佛偈でよかった。おならもやんでよかった。でも同朋奉讃式の和讃も声が震えた。限界だった。
帰宅して一人で笑った。お墓にはいろんな思いがある。おならくらいで笑っている場合ではない。けれど、三つの目の墓の前で、おならを思い出さずちゃんと勤めた自分がちょっとよくやったとおもう。