お菓子をもらったのがうれしくて

19時半過ぎから、あるおうちの報恩講のお勤めをしてきた。ここ数年私が勤めている。おばあちゃんと息子夫婦、孫娘さんと5人で、正信偈草四句目下、念仏讃三淘、和讃「三朝浄土の大師等」次第三首を赤本で勤める。御文は末代無知。家族みんなで声をそろえて勤めていただき、感謝。若いので、耳からすっと入るのか、末代無知も上手い。もちろん小さい頃から寺で習ってきた土台もあるからだと思う。その大学生の孫さんが、如来大悲の和讃を開いて、これ、小さい頃歌ったね、あそこの寺で練習して、8月の半ばだったか、夜、そこのお寺でお参りして、お菓子をもらったのがうれしくて覚えてる。といってくれた。
現代の小学生はお菓子なんぞうれしいだろうか。それでも、彼女のように記憶の片隅にうれしかったこととして残っているのは、とても貴重。そろそろ夏の正信偈の練習の最後に、献灯献花やお勤め、ちょっとしたお話と、それからお下がりのお菓子を渡す、なんていうやつを復帰させる計画を立てようか。