精進料理

法話に呼ばれたお寺の客間で「我行精進忍終不悔」という書を見た。和田稠先生のものだった。

十方の世尊、 智慧無碍にまします。
常にこの尊をして、 我が心行を知らしめん。
たとい、身をもろもろの苦毒の中に止るとも、
我が行、精進にして 忍びて終に悔いじ。
無量寿経・嘆佛偈
聖教電子化研究会 http://www.icho.gr.jp/seiten/html/013.html

「精進」というのは、励むとか努力するとかということ。現代語で言うと「精進する」という動詞になるのだと思う。
精進料理の話をしていて、「そもそも精進てなんだ?」とお兄ちゃんが言い出した。姉さんは「励むこと」といった。妹は「逃げるものを食べないこと」といった。そして修行時(浄土真宗にはないが。)に食べないといわれる、たまねぎ、ねぎ、にんにくなど、精がつくもの(元気になる)はふさわしくないなど話は盛り上がった。
けれども私がはまっている精進料理の解釈は、生きものを殺して食べていることを、食べないということで、あらためて考える四十九日間にしたいという感じである。あらためると(改めるでなく)、自分の食生活では、「逃げるものを食べないこと」がとても難しいと知らされる。定番のめんつゆはかつおだし。たまねぎやにんにくは大好きだし。
精進料理を作る食べるということこそ、行であり、その行を精進する。でも、それまでより栄養不足になって体調不良になれば「忍びて終に悔いじ」なんて言ってられないな。いくら仏さまが見守ってくれていたとしても。