無碍の一道

念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なり 歎異抄第七条


考えてみますと、私たちの人生には、どれほど多くのおびえがあり、また不安があることでしょうか。また、どんなに多くのものに縛られ、当てにならぬものを当てにしていることでしょうか。幸福を祈って神々を拝んだり、不幸につきあたってはなにかのたたりかと怖れます。そして自分に罪悪を感じたときにはその報いを恐れ、善いことをすればそれを誇ります。そのすべての底に深い怯えと不安があることを私たちは自覚すべきです。『親鸞に出会う言葉』東本願寺 寺川俊昭

法事で、人間の存在が欲にまみれている、我さえよければいい私であると話したら首をかしげられたことがある。その方は、大津波の時最後までマイクで知らせ続けたような人になりたいのだと話してくれた。「そのすべての底に深い怯えと不安がある」そのことを知らしめす教えを伝えて行きたい。