第八条

八 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々

一言で、「正しく」いうと、こうなんだ。そして念仏ははたらき。聴き慣れた方にもう一言たして、念仏は如来の回向。「だからあなたが何かのためにとなえる念仏はおかしいのだ」なんて若かりし頃言ってきた。先日「私」ということがとれないと、苦悩し続けた師のことをきいた。どこまでいっても何かのためにしか念仏できないことを、自分でよいと思ってする念仏(わがはからいにてつくる善)、「私」が称える自力の念仏であることを「非行非善」と逆に言いあてることばなんだろうな。