坊守(ぼうもり)の現場

先日、地域の老人クラブの活動で○○サロンという会に法話を依頼されて参加した。「○○寺住職の○○さんです」と紹介を受けたが、簡単な自己紹介の中で「住職じゃないんですよ、坊守(ぼうもり)なんです。」と申したが、その後「どうもりさん」と呼ばれ、『どうぶつの森(ゲームの名前)』のようだなと思いつつも、私を呼んでいるのが伝わったから、しつこく言うのはやめた。
昨日は組の坊守会会議だった。参加するようになって、「坊守」と呼ばれることも名のることも嫌ではなくなった気がしている。まだ坊守でなかったころにその坊守制度の問題点を勉強した。ちょうど過渡期だったと思う。それで「私は家の奥にいる奥さんでもないし、坊(寺)をじっと守っている坊守と名のりたくはない。」「うちの家内なんていうやつ最低っ。」と思ってきた。若いな。
組の坊守会に参加して気付いたのは、そうやって本山で「坊守」について討議されている時も、「なんにもわからずに」坊守会を支えてきた方がおおぜいおられるということ。お寺に嫁いで、どこにいるのか、なにをしなければならないのか、わからない。しかも、非常識なことが寺の中では常識だったりする。ある坊守さんがいった「なんにもわからないからこそ一生懸命やってきた。うちのお嫁さんも私と同じでなんにもわからないから坊守会にでることを勧めています。同じ辛さを感じていることもあるし、お友達も出来たり、勉強にもなっていいんだよ。子守りは私が代わってあげるから、行っておいでと、言っているの。」先輩たちのお陰でとっても雰囲気が良いわが組の坊守会。大切に引き継いでいきたい。
最後に、「なんにもわからずに」という言葉はやはりちょっとひっかかる。これまでそういわれて苦労してきた方が言われてきた言葉と同じこの言葉を使っても、五障三従なんていうのはもう伝説なくらいの、現代の感覚では人間関係に溝が出来ると思う。「個人の尊厳」をものごころつくと同時にそらんじてきたのだ、言われるほうとすればうれしくない。機転を利かせて、それぞれにあった誘い文句を考えるのが大事だろうな。ということで、坊守会参加のために、お姑さん(坊守)は嫁(若坊守)に、「これからお寺同士の付き合いも大事になってくるからお願いね。」でどうかな〜。また「なんにもわからないから」というのは男性だったりする。「お寺ではない家から嫁に来たので、なんにもわからないから、いい。」あるいは「なんにもわからないから、坊守会に参加するべきでない。」どちらの言葉もイラッとしたが、ゆっくり考えることにしている。多くの坊守がそのような言葉で傷ついてきたことを忘れないでいたい。