精一杯生きたと言い切る。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100630-00000253-yom-ent
自殺というのは、本当は身近な問題であるはずなのに、自殺をした本人に対しても遺された家族に対しても差別的な対応がなされる。「潟に飛び込むのだけは止めてくれ、親戚に消防がいるし、親戚中恥ずかしくて顔向けできなくなる」と若い頃に母に言われた、と80歳近い方が言った。私は自殺が恥ずかしいなんていわないけれど、悲しいからやめてほしいといいたい。それは自分の都合だろといわれようが、自分の都合で結構だから、やめてほしい。悲しいから。自分がなにかしてあげられなかったのだろうか、いや自分なんて何の役にも立たないに違いない、でも、何もしてあげられなかったから死んだんだと、自分を責める。そう自分を責めるのは、亡くなった本人も予想しないような人まで。もっともそんなことを考えて亡くなっていくのでもないと思う。亡くなった人の本当の気持ちは誰にもわからないと思っている。ただあの人がもういないことをこんなに悲しまなければならないことで気付かされたのは、あなたがいることでいないことを悲しまなくていいってこと。そういうことが「天上天下唯我独尊」あらゆるいのちの無上の尊さ、ということなんだと思う。自ら死んだ命は尊いか。当たり前である。その人はそのいのちを精一杯生きた。すべては人間の勝手な価値観。そうであるなら精一杯生きたと言い切る。
追記、以前自殺対策支線センターの清水さんの言葉を紹介したつながりで以下のサイトの記事を読んだ。
http://www.jinken.ne.jp/other/satou/satou2.html ふらっと