続いなみの父ちゃんの祠堂経

夜眠れなくて、ブログを更新したけれど、送信しないままだった。
今日いなみのとうちゃんの祠堂経をあげた。とうちゃんが死んだ日、がっくりした。口数少ないその人は、淡々と必ず参ってくれた。みんないろいろ理由があって参れなくても、とうちゃんは必ず参ってくれた。始まる五分前、一生懸命準備したけど、誰も来なくて、一緒に準備したお兄ちゃんが「大丈夫、必ずいなみのとうちゃんが来てくれるよ」と言った。辛いと言えないくらい辛いとき静かに支えてくれた。
父が死んで、どこを向いてがんばればいいかわからなかった。ただこれまで寺でしてきたことを、しなければならないこととして、やってきた。工夫したり変えたりする余裕などなかった。月参り、年二回の永代祠堂経、報恩講、お説教などの法話、葬式…。
法話に招かれ、「お参り(に来られた人)が少ないです」と恐縮されるたび、いつも思いだすのは、うちの大雪の祠堂経に、雪をかき分けて参りにきてくれたとうちゃんのこと。あたしゃのとうちゃんと二人。だから二人は宝物。だから私はどこでも二人いれば平気。
ありがとうございます。
数年経ち、祠堂経で私が話す日もなぜか参りが増えた。その日もとうちゃん一番前で座って、「なな、まーなった。」といった。その次の祠堂経は参れなかった。病気だった。その月の終わりにとうちゃんはお浄土へ帰った。
「(お葬式で)かわいそうだと泣いたら嘘になる」。と梶原先生はいったが、私の思いはもっと自己中心的で、寂しから悲しい。新しい思い出が作れない。
ただ娘さんがとうちゃんに似てるからうれしい。たくさん話すこともなかった。顔見て安心したから。