迷想に行ってまいります

今週末、はじめて報恩講法話三日間、任されています。報恩講というのは浄土真宗の寺の行事で一番重いものなので、いつもに増して気が引き締まる思いです。「私なんかでいいですか・・・」と言わざるをえません。さて何を話そうか、瞑想でなく、迷走とも言いがたく、迷想に行ってまいります。
先日、当ブログに、【ぞく「にそう、しんらんしょうにんのおしえとひぐれのしょかん」】という仮名をふってくださった方がいて、ちょっと笑った。「×ひぐれ」でなくて、「○ひぐらし」なんだけれども、なるほど、「日暮れ」と読める。なんだか「夕方思ったこと」みたいで面白いとも思う。しかし、私はだいたい22時に頭のスイッチが入る。それからだいたい1時に切れる。三時間しか活躍できない脳みそなんである。午前中は寝ている。日暮れは晩御飯のことを考えていたいものである。
というわけで、迷想、この限られた時間にひらめくかどうか・・・毎度、日増しに焦るのである。