「本当に悲しいのは忘れてしまうこと」

そろそろ報恩講法話が近づいている。その先生のお寺で話をさせていただいたのは、三年前。(東本願寺)同朋会館に補導で行っていたときに、教導で来られていた先生に「この日、空いとるか?話に来てくれんか?」とちょっと声を掛けられたような感じだった。それははじめての盂蘭盆法話で、一生懸命勉強したことを思い出す。三年も前だから話したことを覚えていらっしゃらないだろうけれども、かぶるのは嫌だから、その時の原稿を読み直していた。法話の原稿といっても日記でしかなくて、恥ずかしい・・・

盂蘭盆会で何を話さしていただこうか、そう思ったら久しぶりに父のことでいっぱいになりました。父が亡くなるまで身近な人を亡くすいうことを経験したことがなかったのですが、「おうたもんでないとわからん」と聴いてきましたが、本当にそのとおりで、友だちのお母さんやお父さんがなくなったと聞くとかわいそうだなぁと、さぞ悲しいだろうと、なんて言葉をかけてあげればいいのだろう、などと思っていましたが、こんなにこんなに辛いものだとは本当に知りませんでした。大体一年くらいは死んだことを受け入れられなかった。父は、家の中ではタバコ禁止でしたから、毎日八時くらいに外に出て玄関でタバコを吸っていたのを、私はそっと部屋から見ていました。いるはずのないその場にすぐ目が言ってしまう。父の部屋は庫裏から離れていましたので、じゃりじゃりと砂を踏んで台所に向かって歩いてくる音をいつも待って、どこへいっても父の姿を捜した日々が続きました。
法事は49日、100カ日、一周忌、丸二年で三回忌をやりますが、なぜそのときにするのか身を持って実感した。死に別れて二年目の三月はもう辛くて、父が亡くなったのはすごくうららかな日だったので、晴れると胸が締め付けられる気がしました。
父が亡くなったとき大聖寺の私の先生の佐野明弘さんが来て、「死は厳粛だと感ずる。」ということと「本当に悲しいのは忘れてしまうことになんですよ。」といってくれたことをふと思い出すことがあります。

そしてその時に、佐野さんが会った次の日に自死されたひとがおられた時の話をされていたことを想い出します。「あの時になにかいってあげれればよかったと思いますか」と私は聞きました。「教えで人を何とかしようなどと思ったことはありません。」と強い口調でおっしゃいました。(あんな怖い顔を見たのは後にも先にもあれきりです。)そして「死は厳粛です。思いも知恵も愛情も、太刀打ちできない、生もまた同じです。私たちはそういう厳粛な生死を生きているのです。そういうことを繰り返しおっしゃった。それはどういうことなのかと私は今も問い続けています。

「本当に悲しいのは忘れてしまうこと」バタバタしとるわいね。参り合いもあいかわらず不慣れやわいね。今日も失敗したけど、大寺の人らちはじめみなさん見守ってくださっとるよ。いつも感謝しとる。だから、がんばろうっておもとるよ。
どれくらいぶりだろう。なぜかお父さんを思って泣いた。