安居へ行ってきました

10月24日から27日まで報恩講安居が開かれました。PTA会議に月参り、親戚が亡くなり枕経、26日に葬式、27日は一周忌・報恩講参り、などなど予定が混んでいたのですが、家族の協力により、25日娘を送り出して月参りへ行ってから26日朝食片付けまで参加できました。

今回のテーマは、

たすけとげること、きわめてありがたし
―救いなき身を生きるとは―
人間の、そして人生の本当の問題とは何なのか。迷いと罪を重ねついには地球もろとも滅びに向かう。それでも猶生きるということに何があるのか。親鸞聖人に聞く。

というものでした。

それぞれ気になるところがあると思います。
今回はお台所係がメインだったので、参加できた講義・座談は一座ずつでしたので、短い時間でであった大切な言葉を丁寧に考えていきたいと思います。

まず、「間に合わん時があるだろう」
親友の言葉。彼女の言うように、お念仏が喜びである生活はいずれそのお念仏が間に合わなくなる時があるに違いない。このお念仏は親鸞聖人が「義なきを義とす」といった先の「義」であると思う。たとえがややこしかったと思うが、とにかく、○○でやっていけるうちは教えを聞く気になれないのでないだろうか。

今回、金沢教区のNさんに会った。話していて楽しかったし、また会う時も友達でいられると感じた。優しくて気が利いてとてもいい人だった。だからまだ絶望なんてことはないだろうと思えた。専修学院へ行っていた頃の私のようだった。人に優しくしようと努力しているから敵がいない。でもきっと間に合わん時がくるだろう。その時にようやく聞いてきたことが繋がる。その時にもまた共に教えに聞きたいと思った。