祠堂経3日目満座『大経』真実の教 リベンジ

親友から「来月、是非お講にお話に来てほしい」と誘われまして、楽しみにしているですが、何やら課題があるそうで、
「家庭と真宗」家庭内での真宗・・・果たして、私たちの普段の生活の中に教えは生きているか?
ということで、ちょっと息詰まってしまいました。「家庭の中での真宗」「果たして、私たちの普段の生活の中に教えは生きているか?」一見、そうおかしいことでもないふうに聞こえますが、私の先生は「現代は新聞に『こころの時間』なんていうタイトルで宗教のことが語られる。宗教がこころの問題になってしまっている」とよく嘆いた。教えが、家庭に生きたり、生かしたりするものであれば、家庭や生活という入れ物があって、何か念仏の教えを(花を生けるように)生かすように感じて違和感を覚えた。


「宗教がこころの問題になってしまっている」と嘆く必要があるとすると、宗教や念仏の教えは「こころの問題」ではない。とすれば何かというと、
今金沢教区の教区テーマは「お念仏の教えを聞こう」というなんともシンプルなテーマで私は気に入っています。大阪の友だちに紹介したら、「ひねりがなさすぎる!」と文句を言っていました。私は好きです。というか、以前のよりずつといいと思っています。教区テーマなんていうのは、自分のしっとるひとたちが会議室でみんなで一生懸命考えて「これにしよう」ということになるから、あんまり文句はいえないし、おのずと「誰がいいだしたことか」ということも耳に入ってくるものなので、悪口言っているのがバレルと気まずいものでもありますが、まあその時はきちんと話をすることにして、


前のテーマは「みなおそう つながりの中の わたし Life with Buddha.」というものでした。なんだかずっと気に入らなくて、和田先生の話を共に聴聞した友人と言うか、また私の先生と言うか、その佐野さんにたずねたことがあった。そうしたら「Life with Buddha.」では、「仏陀と共に」ということだから、私がいて、共にいる仏陀や仏教や念仏の教えがあるということになる。ところが念仏の教えと言うのは「生きる」ものであり「Life is Buddha.」ならしっくりくる、とおっしゃった。ここでも聞いていただいたことがあり、私もいまでもずっと大事にしている言葉です。生活が仏陀や仏教や念仏の教えである。念仏というのは「する」ものでなくて、「生きる」もの。「阿弥陀仏の南無せよ」という呼びかけに応えて生きるものなのだと聞いています。どうですかね。


さて、今日ははじめに『大経』の話を聞いてください。これ実はリベンジです。聞いておられたら気付く方もあると思います。大事な事なのに、うまく表現できなくて、やっぱりもう一度話をさせていただきたいと思ってきました。


親鸞聖人が浄土三部経と呼ばれた三つのお経、
『大経』―真実の経 そして『観経』―顕彰穏密大事なことが隠れている。
阿弥陀経』―方便本当このことを伝えるてだて。


そして、『教行信証』に それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。と書かれているですが、
(今からお話するのは藤場俊基先生に教えていただいたことです。)
 
ところが、親鸞聖人は大経は真実だとはいっていない。
真実の教は大経だが、大経は真実とはいっていない。それは、真実の教えは大経で遇うた、ということで、「涅槃経」「法華経」ではなかった。これは私たち一人一人が真実の教えに大経で遇うているか、いうことである。


親鸞聖人には「大経」が信頼できる教えだというのですが、なぜ信頼できるか。


「仏々相念」という言葉があって、仏が仏とわかる。仏が仏(覚った人)だとわかるが、凡夫が覚った人とわかるだろうか?知りえないものである凡夫が、仏の教えをなぜ聞けるか?例えば、迷ったものが迷ったものの話を聞いても覚ることは無い。例えばスーパーでこんにゃくを買うということも、こんにゃくを知らないと買えないように、覚っていないものは、仏が目の前にいてもわからない。そして、念仏しなさいと言うても、信頼できない。


なぜ信頼できるか、親鸞聖人は『教行信証』でのわずかな文章で、この確かめをはっきりさせます。それが、大経の序文に書かれていることで、説法が始まる前の話で、阿難と釈尊のやりとりなんですが、まず阿難が釈尊のお姿を見て、起ちあがって、「今日の世尊は輝いておられます。まるで如来のようです。」「なんでそんなにひかっておられるのですか?と」聞いた。


そこで、釈尊はびっくりして聞いた、(仏さんしか仏さんだとわからんはずやから、)「天人にきいたんか?、自分でさとって(仏が見えるようになって)そんなふうに聞いたのか? 阿難は「いや、誰にも教えてもらっていません。ただみたところをいうただけです」といった。
その時、釈尊智慧を見た。ところが阿難は智慧と思っていない。ただみたところ(所見)をいうただけ。実は親鸞聖人はこれだけのことで『大経』を信頼した。「智慧(仏)」と一方は「無自覚(阿難)」のまま。
ここにでてくる阿難は覚っていない。その阿難が、釈尊に対して、厳かに光り輝く如来の体を仰ぎ見て、「まるで仏さんみたいに光っておられますよ、なんで?」と問い、釈尊が驚かれる。阿難からこのような言葉がでてくることに驚いた。それは覚っていない者から出てくるはずのない問い、であった。だから確認して、「天の声」か、あなた自身「智慧」(慧見)を得たのか、いずれかの宗教的体験を得て、いままでのおまえと違うのか?と問う、そういうところです。


さて、『法華経』のはじまりのところでは、説法が始まるまで経緯が書かれる。方便品は「三止三請」釈尊が禅定から覚め、感得していた。仏と仏のみ、唯仏の知見。仏レベルで無いと、仏のことはわからない。いいはじめてやめとこう、いっても誰もわからないと思った。舎利弗が「お願いします。」という。
釈尊は、「誤解する、増上慢―思い上がりの人が聞いたら大きな穴に落ちる。」舎利弗は「仏の智慧が聞きたい、お願いします。」三回請うということで、ようやく説こう、ということになった。


ところが、その場に数万人がいたのだけれども、そのやり取りについて、五千人が失礼だと憤慨して帰る。


すると釈尊は「これで増上慢の人たちがいなくなった」といってようやく語った。「四十余年未顕真実」、四十余年顕かになったことがない真実。これで真実教だと間違いないわけです。『法華経』はご存知のように、○○学会や○○宗ですね。「南無法蓮華経」。


これは「地盤」の問題で、これを持って『法華経』の地盤を強固とする。どんな地震が来ても地盤がしっかりしているから大丈夫やと。面白いですね。


さて、親鸞聖人は、9歳から(出家し、比叡山で)『法華経』を中心に修行する。ところが訣別するんですね。『教行信証』では二回だけ引用、弥勒菩薩と菩薩の還相回向のところにでてくるのみ。


さて、なぜ、親鸞は『法華経』と訣別したか、それは教えの問題ではなく、私の問題だった。
法華経』が真実だとかそうで無いとかでなく、教えがどうという判断基準以前の問題で、怒ってかえっていった五千人の問題。私が残ってここにいる自信が増上慢。自分がそこに残れるかどうか問われてしまう。


親鸞は『大経』で先ほどの上巻の中で、阿難が未覚者であるということ、無自覚のままに仏をみた、気付いていない。仏を見ていながら、気がつかないが、ところが、仏の方から気付いてくださった。私の方に智慧があるのではなく、仏は無自覚の者を相手にした。これだけで親鸞は信頼した。


法華経』は真実教、留まる人に説いた。
ところが『大経』は無自覚の人に説かれる。その説法を信頼する。
根拠は、無自覚だという事実である。私には資格が無い、力が無い。どうですかね。無自覚は不安定だけれども間違いが無い。例えばどんな地震が来ても、地盤がしっかりしているから大丈夫なのでない。揺れて揺れているままのところに建てる。揺れ動く私は判断しない。


そういう話を聞いてですね、感激して、それで、夏の終りの祠堂経で聞いてもらったんでずが、聞いて感激した思いばかりが先走って全然うまく伝えれなくて、聞いておられる方もポカンとされていた。心残りで、この話を居候君に(寺の生まれでないし、仏教や念仏の教えを勉強したわけではない)聞いてもらった。すると、「それであんたは、なんで感激したんだ」と聞いた。私は「ようやく自分が許された気がしたんだ」と答えた。「それが一番大事なことだろう!」と指摘してくれた。『大経』と『法華経』の違いよりももっと、なぜ聞きたいか。そういうことなんですね。


『大経』はまだ覚っていないものに語られる。
法華経』が語られる時、怒って帰ってしまったかもしれない増上慢である私、同時に私はひどく卑下慢なので、「そんなにお釈迦様が渋るなら私は聞いてもわからんなと下を向いて帰っていたかもしれない」私です。
『大経』はまだ覚っていないものに仏の方から智慧を見出してくれた。


仏が見出してくださるから私のままでおれる。卑下慢でも増上慢でもそんな自分に聞く資格がないとレッテルを張らなくていい。つくづく、私たちが聞きたいのは教養の話でない、浄土真宗は教養でないのだろうなと、居候君に教えられました。


今お話したことは親鸞がなぜ真実教が『大経』であるとしたのかを聞いたもので、他宗や『法華経』の批判ではありませんし、『法華経』のことを聞かれても正直こたえることが出来ません。それではちょっと休憩をいただいて、後半は顕彰隠密の『観経』に聞いていきたいと思っています。今日は忙しいですね。(休憩)