祠堂経5日目満座(最終日)

(ちょっとハプニングがあり、たまたま私の母と娘も参って話を聞いていた)
ねぇ、お母さん、お母さんは旅行に行っておらんかったときのことやけれどもね、
叔母が一週間に一回くらい頻繁にばあちゃんの様子を見に来る。
「おばあちゃん最近、急に衰えてきたみたいやね」と寂しそうにこっそり泣いとった。私は見たがや。


(その場にいた妹が、)妹は、嫁いだ先のひいばあちゃんを、一年寝たきりの家族を介助し、死をみとった。その妹がいうにはおばあちゃんがもうだめだと。ひいおばあさんの時と一緒だと、こう、背中で息をするような苦しい様子で、息をするのが大きくなったときは、もうあきらめんなんよ、というた。衰弱だと。うまい介護だったかそうでないか、そんなことは関係ない、どんなことしてもだめなんだと。


おじいちゃんがそんなおばあちゃんを見て手を合わす。それを見た居候くんが「俺、おいおいじいちゃんまだ早いぞ、ばあちゃん生きとるぞと思う」といい、私と妹は同時に、それは手をあわせとる意味が違うよ!と言って、笑った。


じいちゃんはよくベットに寝て説教をする。歯もいれとらん、いれば枕元に置いて、くしゃーとなっとる。こうやって寝てね、
「みなさんようこそお参りくださいました。私はおかげさまで、こんなに長いきさせてもろうて、よくね、歳を忘れるんですよ。歳を忘れるまで、こうしていのちをいただいてあることを本当にうれしく思います。朝起きて、ああ、今日もいのちがあった、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ご飯がこれまたいつもおいしくてね。ああ、ありがたいなぁ、いのちあることがうれしいなと、そう思うておるんです。」(たまたま私の母と娘も参っていたので、「ねぇお母さん、何回も言うげんね。」こうはっきりと、まあ、何回も言うておりますので、みんな覚えた(笑)


正直、そんなじいちゃんの言葉がうれしくて、なんかい聞いてもね、泣いてしまうことがあります。
私は、いつも怒ってばっかりなんですよ。恥ずかしい、恩を感じていながら、この次は優しくしようと思いながら、側にいることしか出来ない。でも「ありがとう」とよく言われます。じいちゃんがおばあちゃんに手を合わすのも、いのちを喜んでいるのだと私たちは思っています。「ああ、ばあちゃん、南無阿弥陀仏。」


農家に生まれたじいちゃんは、百姓したなて、坊主になった。そして、念仏の教えを喜ぶ生活を今まで送ってきた。
父は対照的に、寺の次男として生まれ、外国線航路の船乗りになり、当時は学校の校長先生より給料をもらったと。お金のことだけでないけれども、55歳くらいに寺をしたくないけれど、これ以上歳を取ると新しいことができなくなると決めて寺に帰って来た。寺の仕事は、月忌参りも法事もみんな生産性のない、無駄なことだと言い続けていた。
「寺の仕事は尊い」そんなこと思ってしていてもどうにもならんのでないですか。だから私の話は、寺とは何か、祠堂経と何か、念仏とは何か、そんな話が多いね。(みなさん頷く。)
どちらの言葉も私には大事です。


それでも、私たちは、南無阿弥陀仏といのちを喜ぶ生活を聞き開いてきたのではないでしょうか。老いて、いのちを終えていく身であるけれども、いただいたいのちを喜んでいく、そんな人々に私たちは出遇ってきたのではないでしょうか。


たしかに時は末法で、念仏もなんもいらん、わからんことになっている。
でも、わからんかわかるか関係ない。


一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
(南無阿弥陀仏申す時に、もうたすかっておる)
弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々


最後に『歎異抄』第一条の言葉をいただいて、今年の○○寺永代祠堂経のご満座の言葉にかえさせていただきます。皆さん、5日間のお参り、本当にどうもありがとうございました。