祠堂経3日目自己紹介

みなさんようこそお参りくださいました。先昨日から○○寺さんの永代祠堂経ということで、よんでいただきました・・・(略)


さて、今日は自己紹介の代わりに、うちには猫がいる。動物大好きなお兄ちゃんが村の野良猫に餌をあげ、犬小屋に毛布をひいて簡単な居場所を提供した。人を見たら逃げていたはずなのに、いつからから呼ぶと返事をして走り寄ったくる、名前はニャース。がたいがよく、ケンカ傷が絶えない、この辺一体をえばって闊歩している。他の家でも飼い猫を押しのけ餌を食べていると伝え聞いている。ニャースが彼女を連れてきた。通称嫁子よめこ。もうなついて、とてもかわいい声で鳴くのでミューと命名。二匹のひなたぼっこ姿をみて顔がほころぶ。

猫ではないがギャースがいる。大変ヒステリックで何かにつけてギャーギャーいう。ギャースは今10日間お友だちと旅行に行っています。ギャースのいないときにしたいこと、まず冷蔵庫の掃除、(私は自分の冷蔵庫を持っています。ギャースは二つ冷蔵庫を持っている。一つは台所、一つは物置にあるが、とってきたコケ(キノコ)を凍らしておくようにでっかい冷凍庫がある、でっかい冷蔵庫、その中はいつも悪臭が漂い、これからの季節はゴキブリが在住している、すごい冷蔵庫)私が掃除したいのは台所の冷蔵庫で、カビが生えた漬物を棄てる。それから日付が2/6の豚肉を棄てる。こういうのは棄てたらギャーと言う。烏にあげるから大事なんだそうです。一ヶ月もほっとかなイイがにね。あとは、こんな小さいピンの入れ物にラップがしてあって、コーンの缶詰のしるが腐って白くなっている。こういうのを全部棄てた。


それから台所のシンク、流しやね、シンクが二つある。一つはお母さん専用や、そこの半月前から置いてある腐った味噌。味噌は腐ったら黒くなる知っていましたか?これが臭い。そして、干からびたみかんの皮と種。これも大事で風呂に入れるがやと、この冬いっぺんも入れたことない。ほれからまだあるよ、腐ったタマネギ周りがどろどろになってなんも硬いところないやつ、腐ったかぼちゃ、これは絶対ギャーと言うから、手袋して、種をとって、袋に入れた。ほれから・・・いうたらきりない。お母さんが行った次の日に台所がキレイになったから、だんなも居候も驚いた、驚いた。


他にもたくさんおらんうちに掃除をドカーンとしている。じいちゃんばあちゃんのいらん服、ネズミにかじられた白衣を棄てる。こんなん見つかったら大変なことになる。すてんがや。私の出したごみをぼっかけてきてひろう。まあそれはあきらめたのですが、娘の保育園などの世話、けーの生えた息子らちの世話。それからおじいちゃんの胃のよわっとるし、そういう食事を準備する、誤飲もみとらんなん。おばあちゃんのショートステイの預け取るがの寂びしがっとるかと思うから見舞いに行かんなん、ばあちゃん、ショートステイにいってすぐ熱をだしてね、施設におるのが嫌でうちに帰りたいから熱でたんかと思ったら、どうも慣れん所で熱でたらしい。
帰った来たらまた介護もせんなん、妹がおばあちゃんの介護のために帰って来たけれど、4歳の子と1歳の子を連れてきた。家事やら介護だけしとるわけにいかん、自分とこの寺の祠堂経、月忌参り、七日参りやら。


昨日帰って原稿を作っていたらとうとうものなって作れんがなった。胸の辺りがひどなって、「こりゃ今どうしても倒れられん」と思ってひだい(すぐ)と、子どものころからずっといっとる医者行って来たら、
「おじいちゃんどうしとる」「おばあちゃん熱でたんやね」と、それから「お母さん旅行から帰って来たか?」と言うもんで、「先生なんでも知っておられるね」と言うて、笑ったんですが、「それは(あなたが)ものくもなるわいね(熱が出ることがあるでしょう)」と言ってくれて、なんか楽になった。


ほんなうまいこという先生でないんです。いつも神経質な感じで、困った顔やら苦笑いばっかりしとる人で、でも私たちは信頼している。以前おじいちゃんもちょっとおかしいと思ったらすぐ「救急車ででっかい病院につれてけ」と先生が言うて、お陰でじいちゃんが心臓つまった時にちょっと麻痺がのこった程度にすぐ元気になったということがあった。


それから、私が年明けの新年会に楽しみにして行って、ごっつぉを食べて、生ビール中二杯飲んで楽しかったのに、体調が悪かったのか食あたりして、乾燥剤飲んだ時のじいちゃんみたいもんや上から下からげー、げー、となって、夜中12時から一時間ほどに腹いたて死ぬかとおもた。なんか他のおかしい病気でも困るから、夜中の二時に救急に行った。土曜日や。
月曜日になっても痛いから、そのお医者さんのとこへ行って、話をしたら「一晩位がまんしょう」とおこられてね、笑った。


かかりつけのお医者さんというのは、ちょっと離れたうちに住んどる出来の良い兄ちゃんみたいもんやと思います。医者というのは、人と人との一対一の関わりだなぁと、先生をみていると思います。


テレビに(私はテレビをほとんど見ないのだけれど、)「Dr.コトー」というのをやっていた。大好きでね。東京の大学病院の優秀な外科医の「後藤さん」が、わけあって、沖縄の本土から船で七時間の孤島で、医者として、「Dr.コトー」として生きる、いろんな人の病気でもケガでも手術したり、往診して声かけたり、いろんな人と関わって、生きる。


どんなに優秀な外科医も手術で治らん末期のがんの人もおる、ほのじいちゃんが優しいじいちゃんで、「わしゃ、健康だけがとりえや」というて今まで来たんだけど、どうも様子がおかしいからと、息子や嫁さんに言われて、腹の中開けて見たら、もういろんなところにがんが転移していて、手のつけようがない。コトーはなんもせんと閉じて、しばらく入院やけども、じいちゃんが、あきおじと呼んでいたんですけれども、あきおじがうちに帰りたいというから、うちに帰って自宅で療養するがにして、点滴やらなんやら毎日看に行くと言うがにした。


がんと言うのは大体統計で、「後、何ヶ月」とうことがいわれる「あと三ヶ月の可能性が高い」とか言うんでしょうかね。どうですかね。
でも、そのとおりでない、人のいのちはそうですね、妹のとこの今死んでもうたけど、ひいばあちゃんが余命一ヶ月と言われたけれど、妹は一生懸命お世話して、一年生きた。


癌で余命こんだけの可能性が高いというてもきまっとるわけでないんですね。そしてある日、あきおじが死んでもた。往診に来たコトーはびっくりして顔がくしゃーっとなってもた。ほしたら息子と嫁が「先生今まで本当にありがとう。」って、「じいちゃん死んだけれどもじいちゃんは本当によろこんどった。ありがとう。」というた。「これは、あきおじから先生へのことずかりものや」というて、草鞋と手紙をくれてね。コトーはぼろぼろぼろぼろうずくまって泣いた。


ちょうどほれを昔の彼女がたまたま(東京から話があって来とったが)見とって、「あなたは幸せな医者だと、死んで礼をいわれるなんてことはない」と、いうとった。


私は「Dr.コトー」を見るたびに、正信偈のはじめの言葉を思う。
法蔵菩薩因位の時、 世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、 国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、 希有の大弘誓を超発せり。
五劫、これを思惟して摂受す。 重ねて誓うらくは名声十方に聞こえんと。
阿弥陀さんがまだ法蔵菩薩やった時に世自在王仏に出遇って感動する。その感動は願いになって、「いきとし生きる全ての者が救われる世界を展開したい、どうしたらよいかと問う。」(発心という。)世自在王仏は人のこたえをきいてもだめだ、自分の願いでなければならないといって、法蔵は世自在王仏に二百一十億の世界を見せてもらう。それは二百一十億の世界の一人一人の生涯。その生涯は喜び・悲しみがあり、そしてどのようにいのちを終わっていったかを見た。どのいのちにも手をあわせねばならないような静けさがあった。・・・そして四十八の願を建てた。そういうところなんですけれども、


二百一十億の世界の一人一人の生涯。その生涯は喜び・悲しみがあり、そしてどのようにいのちを終わっていったかを見た。どのいのちにも手をあわせねばならないような静けさがあった。こんな人やから尊い、そんなことなんも言わん。どの人の人生も手が合わさるような尊いもんやと。そういうことをコトーのビデオを見て涙を流しながら何回も思っています。

また自己紹介でこんな長なったけれども、すみません。今日はここで一度休憩します。