住職、少しいじけてる。

住職は腹の立つことがあると寝酒の焼酎を飲んで大きな声で歌う、大声で独り言を言う。今日はそこそこの声で独り言を言っていた。少しいじけているのである。


原因は私で、今日のお通夜のこと。娘が一緒に行きたいと言うからDS持参で連れて行く事にする。僧侶控え室でおりこうさんにして待機可能。会場について間もなく住職が「今日は声を高くしないでほしい」という、私はDSを目でおって、腹の中で「あん???(怒)」と言っていた。その後、「ごめん、今日は夜勤明けで、本当にだめなんだ」と住職がいう。私は無言で娘の髪を触りながら腹の中で、「調子いいときなんかあるんかい、ボケッ」と言う。娘の前での言いあいは避けたいし、お勤めの後に住職が法話するから動揺させてはならないと思ったし、考え込んだところもあって結果ギロッとにらんで無視状態になってしまった。


住職は、お通夜の正信偈草四句目下・念仏讃が下手。悪いけど聞き苦しい。以前、「正信偈の最後から念仏讃にうつる時、初重から二重に変わるときや、念仏讃と和讃の間はあけないですぐに和讃の調声をしたほうがいいよ」といったら腹を立てて夕食を食べなくなった。その後もずっとアドバイスは聞き入れられること無く、相変わらずへたくそ(怒)調声が下手なら助音が音をあわせる。今回も二秒くらいずつ間があいた。助音がいないなら調声が音をとっていく。儀式の場に集まった方々と共にお勤めするための調声。


報恩講で僧侶が集まってお勤めするとき、上手い人と普通の人とオンチな人と全然音があわせられない人がいる。彼は最後のグループに入る。一人でお勤めするときは全然音があわせられないのは問題にならない。音をあわせることが全くできないなら自分が調声のときくらいは堂々と勤めれば他の人がナントカしてくれるもの。ところが彼は堂々と勤めることができない。『観経』などのお経は平気なのに。


男性と女性が声を合わせて声明をするのは確かに難しいかもしれない。でも声を「互いに歩み寄る」みたいな感覚でなんとなくできている・あっている感じにもなる。そして、私にとってはとても上手い男性に声をあわせることはそう難しいことではない。一人で勤める月忌参りでさえ常に低い声でお経をあげるようにしている。


住職に「今日は声を高くしないでほしい」と言われ、「私の声がどこ高いって(怒)お前がドヘタなだけじゃ」と思ったけれど、本当はすごくがんばっているつもりなだけで、これまでずっとまわりの男性からそう思われているのかと自信喪失し、がっかり、悲しくなった。
でもそのことに赤面しなければならないくらいの声では勤めていない、邪魔にならないよう、目立たないよう、でも声は出している。もちろん女の声でもしっかり出さねばならない状況もある、そういう見極めは大事。


勤行の後、「今日はありがとう高くなかった」と言われた。いろいろ考え中で冷たいようだけど無言。にらみつけたりはしません。


毎回思うけれど、「この人とだけはお勤めしたくない、オンチの○○寺さんの方がマシだわ。」言いませんけど。これまでは所作に「こうやったほうがいいよ」と言うこともたまにあったけどもうこれも言うだけムダとあきらめた。基本的に陰口は嫌いなのですが、無言とこれらを言われるのとどちらがいいのだろう?


先ほど、いじけて独り言を言っていた住職に、「明日は8時30分出発だね、雪すかしをしておくよ」と声を掛ける。返事の声が安心した感じ。彼も精一杯やっているのは知っているから。