寒中見舞いの補足その1

法事は観経(仏説観無量寿経)を読むことが多い。読経の後、法話で観経の話をすることもあったが、韋提希がむちゃくちゃ落ち込んだりめちゃくちゃ腹立てて愚痴をぶちまけた末になぜ「憂い悩むことなき処をお説き下さい。」「争いのない処を教えてください。」(原文で言うと「無憂悩処むうのうしょ」「清浄業処しょうじょうごっしょ」)といったとこの経典にあるのか、なんだかすっとぼけてるよなーとずっと思っていた。

仏説観無量寿経の大意】
[序分]
 私はこのように聞きました。あるとき仏(釈尊)はインドの王舎城(ラージャグリハ)という国にある「鷲の峰」(耆闍崛山ぎしゃくっせん、霊鷲山りょうじゅせん)に千二百五十人の修行者たち、三万二千人の諸菩薩とともにおられた。


 ときに王舎城ではマガダ国王の親子の間に、一つの悲劇が起こっていた。マガダ国の太子である阿闍世あじゃせ(アジャータシャトル)が、調達じょうだつ(デーヴァダッタ、提婆達多)にそそのかされて、父である頻婆娑羅(ビンビサーラ)国王を牢獄に閉じこめたのである。王の身を案じた妃の韋提希いだいけ(ヴァイデーヒー)は、自分のからだに食物を塗るなどして牢獄内に食物を持ち込み、ひそかに王に食を与えていた。しかしそれもわが子阿闍世に発覚するところとなる。阿闍世は怒りのあまり、韋提希を殺そうとするが、家臣に説得されて、この母親を宮廷にとじこめてしまう。わが子に背かれて囚われの身となった韋提希は憂い憔悴して、耆闍崛山におられる仏に向かって教えを請う。

 この願いに応じて自分の前に仏が現れると、韋提希は地面に身を投げ、号泣しながら仏に訴える−「私は過去になんの罪を犯したことによってこのような悪い子を生んだのでしょうか。また世尊せそん(釈尊のこと)はどのような因縁があって、提婆達多という悪人と従兄弟なのでしょうか。世尊よ、私のために憂い悩むことなき処をお説き下さい。(この意訳ではここ抜けているんですが、なにしろここが今回言いたいところなのにネットで探すのにも疲れ果てまして、後で補足する予定です。id:nikoju)もはや私はこの濁悪の世をねがいません」−と。
 そこで釈尊が眉間から光を放って諸仏の浄らかな国土(浄土)を現出されると、韋提希はその中から特に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたいと訴え、そこに行く方法を説き示されるように仏に懇願する。
「無盡燈(浄土真宗本願寺派善徳寺ホームページ)」より

この観経のことがずっと頭にあって、年賀状代わりの寒中見舞いを書いていた。坊主仲間以外には書いてあることがわからんだろう、いや読む気もせんだろうと、居候君に指摘された。そんなことではいじけない。
県外の皆様にも届くであろう明日に、続く。