御正忌法話―末法の仏弟子(佐野さんに聞いたこと)

今日は御正忌ということで、また呼んでいただきまして、ありがとうございます。蓮如上人の「御正忌」の御文は

11 そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもいて、聖人の御まえにまいらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もってのほかの大事なり。

そのゆえは、信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひとも、すみやかに決定のこころをとるべし。人間は不定のさかいなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがうべきものなり。

されば当流には、信心のかたをもってさきとせられたる、そのゆえをよくしらずは、いたずらごとなり。

この御文を本山で御正忌報恩講が勤まる11月の月忌参りや、総報恩講と私の寺の御正忌でいただいてまいりました。「信心のかたをもってさきとせられたる、そのゆえをよくしらずは、いたずらごとなり。」読むたびにいたずらごとでしかないなぁと、嫌味いわれとるように思ったりしています。読んどる本人がこんなんではなんもありがたないね(笑)

さて、ここではいつも今どんな課題を持っているか、ということを聞いていただいているのですが、久しぶりに家族のこと、日常の生活から、親鸞聖人の言葉や念仏の教えを聞いていきたいと思います。
(中略)
勝他利養名聞である私にありありと出会うわけです。そんなことを苦々しい思いで日々感じています。そういうことで、こんで家族構成および日常の生活から、痛感する念仏の教えを終えて、ちょっと休憩させていただきます。
(休憩)
さて、ずいぶん寒くなって来ました。今年は平年並みに雪が降るということなので、昨日スノータイヤ換えました。タイヤ交換のお手伝いを少ししながら、(余談ですが、うちにはご門徒から寄付していただいた親鸞聖人の銅像がありまして、台座はうちでしたのですが、なかなか高額でした(笑))高いとこにある笠をかぶった親鸞聖人の背中を見ながら、「私はなにをしているんだろう、どこに向かっているのか、虚しい」と思いました。最近よく思うので、居候君に「わかってもらえんと思うけれども」と、愚痴を聞いてもらったりしている。彼は「その虚しさからは抜け出せない」、というが、そんなことはあまり問題ではなく、この虚しさは何なのか、そこが気になるし、はっきりさせたいと思って、どよーんと浸かっているような毎日です。

先日だんなと一緒に大聖寺の佐野明弘さんのところの聞法会へいった、その時の課題はこういうことだった。

真仏弟子」というは、「真」の言は偽に対し、仮に対するなり。「弟子」とは釈尊・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。
(この信・行に由って、必ず大涅槃を超証すべきがゆえに、「真仏弟子」と曰う。)
教行信証』信巻
真の仏弟子、仮の仏弟子、偽の仏弟子
そもそも何をもって仏弟子と名告りうるのか。(「親鸞教室」案内より)

佐野さんたちにどちらか発表をお願いしますといわれてだんなはうつむくし、私が発表することになって困った。私にとって「真の仏弟子」というお題は、『教行信証』信巻の「真の仏弟子」に直結し、「昔考えたわかったもの」にしていた。

決定して行に依って、仏の捨てしめたまうをばすなわち捨て、
仏の行ぜしめたまうをばすなわち行ず。
仏の去てしめたまう処をばすなわち去つ。
これを「仏教に随順し、仏意に随順す」と名づく。
これを「仏願に随順す」と名づく。これを「真の仏弟子」と名づく。
教行信証』信巻216「真の仏弟子

これを三随順。教と意と願に随順することを「真の仏弟子」というという。
若い時にああ、無理だわと思ったことがある。一生懸命にやればやるほど、「真の仏弟子ではない自分」に出会う。正直「何を今更仏弟子?」と尋ねたくらいだった。

そもそも「仏弟子」なんてどうですかね、日頃の生活では課題にならないですよ、仏弟子を目指しているわけではない。本山で奉仕団の方が帰敬式を受けられる、帰敬式というのは仏弟子の名をいただく儀式なんだと、真宗門徒は毎日お勤めしてお仏供をあげて真宗門徒の生活をしんなんということになっとる。仏弟子というのはどんなことをするのか、なんとなくイメージがある。だから、恥ずかしくてとても「私は仏弟子です」と名のることができない。自堕落ですからね。

もう一ついいますと、だんなにはナイショですが、最近高い高い時計を買いました。私はブランド物を買うといつも罪悪感が付きまとう。
若い時、ヴィトンのバックを学習会の打ち上げに持っていったら、「いくらくらいなの?」と聞かれたから、鼻高々に「これは○○円これは○○円これれは・・・」と答えたら、「土を耕して一粒の米を作る人のことを考えたことがあるのか!」と真っ赤な顔になって涙交じりに激怒されたことがある。そんなことが10年もまだもたっても忘れることがない。ところが、やっぱりブランド物が欲しい。今日ははじめに本鳥とか、名利心とかいう言葉で、僧侶がまずはじめに捨てるものをお話しました。名利心は勝他(人よりいいものを持っている)、利養(利益ですね、高価なものをもっているから得られるという利益はないでしょうかね)、名聞(高価な物を持っておしゃれだわといわれたい)、ブランド物を持ちたいというのは名利心そのものなんです。

そして、決定して行に依って、仏の捨てしめたまうをばすなわち捨て、というけれどどうですかね、仏の棄てたこと、もうやらない、そういうことをつかんだりわざわざひらったりしている。仏の行ぜしめたまうをばすなわち行ず。仏のしたことを出来るわけない。みなさんの家には「法語カレンダー」はありますか?12月の言葉は『大経』から引用で、「人はともに敬い親(した)しみ 憎しみ嫉(ねた)んではならない」と、その言葉にはっとした、参りに行ってね。日常の生活はこんな言葉がしみるくらい、しみるのは、そうではない状態なんですね。それから仏の去てしめたまう処をばすなわち去つ。
お釈迦さんは「釈迦族の王子」として生まれた。王子というのは欲しいものは何でも手に入る、物欲地位名誉そういうものが満たされる、そういう処から去った。そういうことを知ると、仏の去ったところに安住している自分に気付かされる。

さて、ここからは(佐野さんに)聞いてきたことですが、(配布物に色を対応)「真仏弟子」と言うは、「真」の言は偽に対し、仮に対するなり。「弟子」とは釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。仮は聖道の諸機、浄土定散。今の自分を種として向かって行く、因より果に向かう。今あるのは希望と努力、努力は自己肯定。これは救済が仏果。
偽は九十五種の邪道、六十二見。いろんな道で幸せを求める、仏教で言うと邪道。これは幸福 (になる) の宗教。ということだそうです。

前回、夏の終わりの夏休みの宿題のような感じで、ここでお話させていただいたことの一つに、「出離その期なし」ということがありました。

末法第五の五百年
この世の一切有情の
如来の悲願を信ぜずは
出離その期はなかるべし 正像末和讃501「出離その期なし」

これは親鸞聖人のご和讃の言葉です。正法、像法、末法、仏さんがおられた時から500年の正法の時は、仏様がどんなお方だったか、在世の時代には会えてわかった。難しい教理はわからなくても尊い人だと感ずるような仏様、亡くなった後も直接教えを聞いた人が残っている。(教と行がそなわり、その正しい証(さとり)がある時代)その後の像法の一千年の時はその教えがしっかり残っている。行が残っている。
ところがその後の末法の時(一万年、その後仏法は滅尽すると信じられてきた)、今私たちがいる時代はいうまでもないが、親鸞聖人の時代にはすでに末法
「釈迦如来かくれましまして、二千余年になりたもう 正像の二時は終わりにき如来の遺弟悲泣せよ 正像末和讃」というはっきりとした末法感がある。

末法は五濁の世・無仏の時、という、五濁とは末法における悪世のありさまの特徴。阿弥陀経の最後の方に出てくる。

舎利弗、如我今者 称讃諸仏 不可思議功徳、彼諸仏等 亦称説我 不可思議功徳、而作是言。釈迦牟尼仏、能以甚難 希有之事、能於娑婆国土 五濁悪世、劫濁 見濁 煩悩濁 衆生濁 命濁中、得阿耨多羅三藐三菩提、為諸衆生、説是一切世間 難信之法。舎利弗、当知我於 五濁悪世、行此難事、得阿耨多羅三藐三菩提、為一切世間、説此難信之法。是為甚難。仏説此経已、舎利弗、及諸比久 一切世間 天人阿修羅等、聞仏諸説、歓喜信受、作礼而去。

(五濁―正像末和讃では6から10)
劫濁(こうじょく) 時代そのものが穢れる、飢え・病気・天災・戦争などの社会悪が盛んに現れること
劫濁のときうつるには 有情ようやく身小なり
身小 身が小さくなるということは仰ぐものを失うということ
見濁(けんじょく) さまざまな邪悪な思想や考え方がはびこること
煩悩濁 貪(とん) 瞋(じん)・痴(ち)の三毒をはじめとする煩悩が満ち溢れる
「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず(一念多念文意545)」私たちは親鸞聖人のそういう言葉を聞いてきた。
衆生濁 心身ともに人間の資質が低下する
五濁悪邪まさるゆえ 毒蛇悪龍のごとくなり
命濁(みょうじょく) 人間の寿命が短くなり、それとともに悪世の現象が生じる。
現代は果たして何歳まで「生きている」のかなぁ、と思います。
昔のオジジは偉かったという、90歳にもなったオジジが大きな湯飲みを持ってどんとコタツの真ん中に座っていた、なにをするわけでもない、でも偉かった。私が今いるところは、なんもできんじーちゃんもばあちゃんも偉いもんではないです。なんとなく日々気にはかけますが、どっかでもう「役に立たないもの」として死んでいるのかもしれません。

(第五の五百について、仏滅後五百年を解脱堅固、次の五百年を禅定三昧堅固、読じゅ多聞堅固、造塔寺堅固、次の五百年を闘諍論とする五百年説)

なかなか話したいところにいけないですが、なにをいいたいかというと、
末法の時は仏道を求めるということが成り立っていかない。仏になりたくて求めているのでない。仏ということがわからないからすくいがわからない。仏法によってすくわれようと誰も思わなくなった。とはいえ道を求めていないかというとそうではなく、仏道を求めながら、別の道を求めている。

親鸞聖人が正像末和讃が書かれる大きな機縁が末法五濁です。85歳の時に書かれた。84歳の時に息子善鸞義絶している。これが具体的な末法の問題です。同一の信心をいただいているものと信頼していたものが、バラバラに崩れていった。みんな崩れて行く、教えを聞いたものが皆離れていく。息子善鸞親鸞聖人がいってもいないことを言ったといいひろめ、関東の門徒壊滅的に、みんなバラバラに離れてしまった。今更のように末法五濁(ごじょく)ということを深く感ぜられてきた。
御消息574-578、たくさんの文(手紙)を送ったのに甲斐がない、善鸞が「これまでの念仏はどうでもいいこと、聞いてきたことは嘘だった(父親鸞は私にだけ本当のことをいった)」ということを信じてしまう、どうして・・・という言葉がある。

親鸞聖人はもう一度末法ということを正像末和讃を書く時のはじめに、
康元二歳丁巳 (こうげんにさいひのとのみ) 二月九日夜(二月九日は住蓮坊・安楽坊が死罪になった日)寅時夢告云(とらのときゆめのつげにいわく)夢告ということもたいへん意味を持つのですが、

弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり

末法の時、誰も救われなくなった時に、先ほども申しました、青のところ、

釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまう
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ

如来の遺弟悲泣せよ」という言葉からはじまる。如来にあうことができない。五濁の世・無仏の時、無仏です、仏弟子といっても仏を知らない。仏様自身がわからない。どこを向いているのかわからない。五濁の世は、欲の満足を幸せとする。思いを満たすことが幸せになってくると書いてある。その二つでもう一度仏弟子ということをたずねていった。

最後に、正信偈のはじめの方の言葉ですが、

法蔵菩薩因位の時、 世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、 国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、 希有の大弘誓を超発せり。
五劫、これを思惟して摂受す。 重ねて誓うらくは名声十方に聞こえんと。

法蔵菩薩と世自在王仏との出遇い、法蔵菩薩は仏にあったら発意が起こってきた。感動が願いに変わる。発心、全て者が救われる世界を展開したい、どうしたらよいかと問う。世自在王仏は人のこたえをきいてもだめだ、自分の願いでなければならないといって、法蔵は世自在王仏に二百一十億の世界を見せてもらう。二百一十億の世界の一人一人の生涯。その生涯は喜び・悲しみがあり、そしてどのようにいのちを終わっていったかを見た。どのいのちにも手をあわせねばならないような静けさがあった。・・・そして四十八の願を建てた。

願は最初にあるべきなのに、願が展開する。聴聞は願いに帰る。出処(でどころ)に帰り続け帰り続け願に帰る。「雑行を棄て本願に帰す」。

思いが空回りして、なかなか上手い事表現できませんが、また明日、佐野さんの言葉に聴いて行きたいと思っています。本日は足元の悪い中お参りいただきまして、ありがとうございました。