仏教は宗教であろうか

最近ブログ仲間に触発され教科書的なものを読んでいます。
私は真宗大谷派の僧侶なので東本願寺発行の『大乗の仏道(仏教学)』『浄土の真宗(真宗学)』の二冊。体系的に学ぶにはきちんとまとめられているからいいのではないかな。

『大乗の仏道』では初めに仏教は宗教であろうか、という問いが立てられます。もともと「宗教」という言葉は中国の言葉で「仏教の要点を表示する文字やことば」という意味であった。
ところが明治以後になってreligionという英語の訳語として「宗教」が用いられるようになった。religionには二つの意味がある、一つは再検討、二つは再結合。「神と人間との再結合」ということ。人格神(創造主)の信仰を基礎としている宗教、すなわち、創造主である神にそむいた人間が、恩寵を与える神の愛によって再び救済されていくという、人格神への信仰にもとづくユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教にとって適切な解釈であるといえるが、もとより人格神(創造主)をもたない、神を持たない仏教は、第二の意味でのreligionであるといえない。
第一の意味でのreligionの意味は「人生を注意をもって再び見直す」という意味に理解してよいであろうから、宗教とは日常生活をもう一度注意をもって見直し、再吟味・再検討するということになる。第一の「再検討」という意味において、仏教は「宗教」であるといってよい。

教科書は次に「仏教」という言葉の意味を問う。持合釈、依主釈、有財釈という言葉によって、帰依三宝(帰依仏、帰依法、帰依僧)が仏教であると書かれていた。

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