報恩講まいりかい終わり。

(今日やっと体調が戻りました。歳を取ると回復が遅いです。ぼちぼちいきます。)
明日で報恩講のお付き合いをしているお寺のお参り(まいりかい)が終わる。六月半ばから報恩講があるから、例年この時期は僧侶たちの声がすっかりくたびれる。
今年は、巡讃が当ってもほとんど泣きそうにならなかった。型のとおりの日中・逮夜の二重和讃を覚えた。

出仕して自分の着座する畳の前にて軽く一礼して、下陣の方に向いて回転し、い草履を右足・左足の順に脱いで着座する。・・・(『真宗の儀式―声明作法』東本願寺発行)

その他和讃本の扱い方もまあまあいいタイミングで開いた。

調声人は、初重念仏の附膚でその他の巡讃の者は、初讃の三句目の中淘にて和讃を開く。・・・
次の頁に翻すのは念仏の三遍目の終わる頃に調声人以下一斉に右手でかえす。(『真宗の儀式―声明作法』東本願寺発行)

決まっているんです。そんな(くだらない、何の役にも立たない)ことにこだわってがんばって覚えて揃えて何になる、何を盛り上がっている、と言われますが、ぐだぐだ正義を求めてられない現実があります。住職代理で出勤しておりますので、びしっと揃えて、私が「巡讃を当ててもちゃんとできる」と思って下さっている方々に恥をかかさんようにしています。
なーんて、今年も恥ずかしいこといっぱいあったなぁ・・・。合掌中に祖師前、土香炉に焼香したねー。八淘のK寺報恩講、あろうことか後座の首座に座ってしまい生きた心地がしなかったなあ。失敗は来年に生かさなくてわ。