すくいからの解放のもと泣く

佐野さんが聞いた。「今の課題はなんですか?」そう私たちはよく話したものだった。「そうですね、“すくいからの解放”ということ、話す機会をいただいて自分が何を話したいか考えた、そうではない、何が聞きたいかなんだと思った時に、和田先生の『出離その期なし』を手にとりました。・・・以来、“すくいからの解放”ということをよくお話している気がします。」
そして私たちは「末法」ということについてしばし語った。

その後、お兄ちゃんに今回佐野さんの話を聞いてどうだったか尋ねた。ご飯の最中だからと答えない。車の中でも聞いたけれどはぐらかされるばかり。やがて「すくいはあなたのイメージしているものではないかもしれないといっていたことについてどう思うか」といって言いあいになった。

私は、「病んで苦しみすくいをもとめもがき続けている人」に「いい薬・効く薬」「腕のいい医者」を与えたくて必死だった事に気付いた。小細工がきかない、真剣そのものに、「どう?効いた?効いた?」と必死で尋ねてきた。

「いい薬・効く薬」「腕のいい医者」ということも「病んでいる人」ということさえ妄想。すくいにがんじがらめになっているのは私だった。すくいをイメージしていたのが他ならぬ私だった。泣いた。