北陸連区差別問題研修会に参加して

テーマ「浄土を願う」-原発事故・放射能被害から問われる自己-
講師 長田浩昭氏(住職)「差別としての原発
   鎌仲ひとみ氏(映画監督)「今、被ばくを考える」
日時 去る 2011年8月30・31日 場所 山中温泉 翠明

参加した。期待を裏切られることがなかった。本当に行ってよかった。案の定、原稿依頼された。御遠忌坊守大会に引き続きである。今までさぼってきた罰に違いない。でも頼む方も大変だろうから快く受ける。俄然、必死に聞く。かっちりノートする。
ノートに助けられ、北陸連区差別問題研修会の原稿は出来た。実は今日〆切りだったのだ。19日と勘違いしていたことを詫び、明日届けることを教務所に電話する。一行13字で500字。ゆうに800字を超え、苦しんだが、削って削ってなんとかおさめた。今日は早く寝よう。


削ったところ一部残しておきます。
 この度の研修会は例年に増して約120人の参加者があった。私も「原発だから」と重い腰をあげた一人である。たくさん大切なことを教えてもらった。(のっけから省かねばならなかった。)
 3月11日の地震による原発事故以降、私はどこにいるか問われ、今回、何かを考え、何かをしようとやってきた。私は「サイレント・ピープル」、いわゆるグレーゾーンにいて、声を出さずにいたことが知らされた。けれども、「これからも」では何も変わらない。新しいことをやっていかねばならない。何をすべきなのか、何を言葉にしていくのかたくさんの知恵をいただいた、と閉会式で芳原氏が話したが、全く同感だった。


両講師はもちろん、所長の挨拶の言葉も趣旨説明も一人一人の感話も閉会の言葉も、重みのあるものに感じた。聞きたかったことであり、言葉にしたいものでもあった。当然、今まで知らなくて驚いたこともあった。
所長が挨拶で、宗務総長の言葉を引用し、トレードオフ:一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという関係。誰かを悪者にしなければならない悲しさ、一人の人と語り合えることが始まるかどうか。http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=337
と、話した。私も正直そこが辛いところだった。
感話で「仲間がどう思っているのか聞きたい」と言った人がいた。座談会で、「浄土を願う、宗教の課題としての反原発なんて大義名分だ」「真宗大谷派の僧侶としての運動なんてない」「運動することによって改めて見えてくるのが私の迷いである」と言った人がいた。そういうことも含めて私も真宗大谷派の僧侶・門徒である仲間がどう思っているのか聞きたくて研修会に参加した。原稿タイトルは「私が聞いたこと」にした。何が聞けたか書いたつもり。
鎌仲ひとみ氏(wikipedia)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E4%BB%B2%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF