大悲無倦常照我

極重の悪人は、ただ仏を称すべし。我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、 大悲倦(ものう)きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。『正信偈親鸞聖人

なかなか気づこうとはしませんけれども、本当は私たちはとても重い悪をかかえて生きているのではないでしょうか。ほとんど毎日のように起こる、目をおおうようなむごい事件を見るたびに、胸が痛みます。それは平素は忘れ、また見まいとしているけれども、私たちの中に同じ重い悪があることに気づけという、大切な問いかけではないでしょうか。
親鸞に出会う言葉』東本願寺 寺川俊昭

そのような私たちを悲しみながら、如来は念仏申せと呼びかけている。それを寺川先生は「救いにめざめよと願って、私たちを照らし続けてくださっている。この光にめざめよ。念仏はこの光にめざめよ、と私たちを呼び続けている声である。」と書かれている。すっとしたこの言葉に尊敬。