東日本大震災・原発事故から思うことの今の私の結論

「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき、ただ念仏のみぞまことにておわします(歎異抄後序)」
多くの人がいいと思ってきたことや思っていることが実はあべこべなのかもしれません。そして私もまた現代の豊さに有頂天で生きてきた。その私たちに、如来は迷いの衆生よ、念仏申せ、「生きよ」と呼びかける。
真宗門徒の念仏は極楽浄土に向かってとなえる念仏でない、私のいのちをとどけてくれた、お念仏の教えで出会う縁をひらいてくれた、その方たちを縁として、念仏称えて、いつでもどこでもそしてだれでも、私でも、まもりたすけんという阿弥陀如来の声にであって、いのちを尽くす。目の前のせんなんこと、出来ることをして生きていく。

その如来を本尊という。本当に尊いこと。本尊が真ん中、私たちには真ん中がある。その中心がはっきりすれば、他のことに迷わなくていい。いいかえると、阿弥陀如来、念仏、南無阿弥陀仏を中心にするということは、浄土から私が照らされ、知らされる、そのことによって、他でもない、いつも迷っている私が知らされる。如来は、迷いの衆生よ、念仏申せ、「生きよ」と呼びかける。
その呼びかけを聞くためにこれからも命ある限り互いに聴聞したいと思います。
永代経法話2011.4.10.