五日間の法話が終わった

風呂に入ってほっとした。五日間毎日予習したり復習したり不安や後悔、緊張、興奮、笑顔などなど入り混じった。初七日参りがあって月参りがあってお骨を墓に納めて満中陰の法要があった。これに去年は母が旅行に行っておばあちゃんのお世話までプラスだったから、とうとう熱がでて町のお医者さんへ行ったんだったな。おばあちゃんはもういない。母は旅行に行かなかったからじいちゃんをまかせっきり。一度だけウサギを見せた。
毎日前半はおばあちゃんのための原発事故関連の話をした。一日目は結論(マスクやハンカチの有効性、海藻を食べよう、傘をさそう…)、日本で最初の原発被ばく労働者の労災認定された(嶋橋さん)の総被ばく量。現世利益和讃、まもられるということは。二日目はヨウ素を食べよう!、親鸞聖人のお手紙「末燈鈔(六)」あさましきものは往生必定、自然法爾のところ和讃へ脱線、「小慈小悲もなけれども…」、「聖道の慈悲すえとおらない(歎異抄四条)」。三日目は広島の原爆被害の資料をもとに、ただちに影響がないという言葉を考えた。親鸞聖人のお手紙の続き、念仏申せない私。四日目なぜ私は原発事故を語るか、「ベクレル」について、厚生労働省の飲食物摂取制限に関する指標、おばあちゃんの死から思うこと、四衢亮氏の寺報より「経教は鏡のごとし(善導大師)」教えの鏡はただうつすだけではなく、見たくない自分まで映しだす。最終日の今日は、昨日ブログにアップしたことや、歎異抄九条、今の私の結論。原稿作っている時話したことを忘れて困り続けた。いろんな寺でお話ししているからごちゃごちゃになる、前日原稿を作っても当日雰囲気で変えてしまうことだってたくさんある。若年性アルツハイマーなんじゃないかと心配になった、とだんなにいうと(忘れるのが)そんなもんだよ、と笑った。