表白は集大成

友人の表白作りを手伝った。先輩たちが法事や法要の度に自分で表白を作っておられる姿を横目で見てきたので、そして心のどこかに、いつか私もという思いが無きにしも非ずだったので、出来た時は感激した。表白というのは、集大成なのであった。どんな思いでその仏事に向き合うかをまさに表白するんであった。
法蔵館から、本願寺派の表白集が出ている。いろんな表白があって驚いた。
いつも昭和法要式の表白で、
如来大悲の恩徳をあおぎ、師主知識の遺徳をよろこび、つつしみて報恩の大行にいそしまん 敬って白す
ばかりの私には、聞きなれない、
伏して請う 如来、大悲を垂れて哀愍納受したまえ 敬って白す
がよく使われる締めの形だと初めて知った。
表白を作ったことがない私がそんな自分を恥ずかしがったのを感じた彼女が、優しい顔で「竹中智秀先生は表白は一つでいいと言っていたのよ、その言葉に何度も出会っていただく、味わうということを言っていたと思う」と言った。お決まりの一つの表白を暗記するくらいになった今日この頃、はからずも竹中先生がおっしゃっていたように、味わっている自分がある。安心して大切にしていこうと思う。