パーシャルのいいわけ

ブログやめますと、お世話になった方に伝えました。新しく始める準備をしていたら、お気に入りというシステムに気付きました。
そこで登録いただいている方だけ閲覧可能にします。mixiみたいで変ですが、もう少し静かに考えたいのです。

少し前に再会した言葉、

出来る人には居場所が与えられ、
出来ない人には居場所が与えられない
「坊主の家計簿」よりhttp://blog.goo.ne.jp/erovows/e/82a33fad35ba569fa1394999ac6c12cf

これは今から20年くらい前に出会った大谷専修学院院長の竹中智秀先生の言葉です。たまたま手にした興正派(真宗十派の一つ)の本「我が本国・浄土」(竹中智秀講述)に先生について、

念仏者として立脚地を確保した人間となり、生きることの勇気を持とうと、院内のみならず各地で講演活動を続ける。

と書かれていました。「生きることの勇気を持とう」ぴったりくる表現です。そうみんなに呼びかけてくれた先生でした。


「生きることの勇気を持とう」と呼びかけられるような場では、「出来ない人には居場所が与えられない」私の生き方が問題になってきます。ですから、やはり、特定の人しかうけいれない、ぐちぐち長ったらしいものを延々と書くようなものはうけいれない私が、どうしても許せなくなってきます。それはまた居場所を与えないということになります。書く人も、嫌がる私も居場所を与えないような生き方をしているわけです。
それでしばらく凍結します。恥ずかしいのもあるし、自分への戒めでもあります。でもそのうちまたふらりともどる予定でもあります。一部閲覧可能ということで、パーシャルです。
あいつのせいでとは思っていないのです。
苦悩の原因が他者ならそれは解決することがない。
自分の選びを人のせいにするような生き方をしたくないので(笑)