白道(びゃくどう)

明日から報恩講、この期に及んで掃除をしなければならない。今年は小学生の時から捨てられないマンガを整理した。当然すごい量である。『きらら星の大予言』(あざぎり夕・講談社)に赤面し思わず隠した。『闇のパープル・アイ』(篠原千絵小学館)は娘も気に入ったようで、12巻まで読んでいた。本の整理中にマンガを読んでしまうのはよくあること。それで、手付かずのまま捨てられそうになっていた二冊を、ここで欲しい人がおられないか呼びかけようと思った。金沢教区教学研究所発行の『白道』(第12号2009年発行)と金沢真宗学院特別講義『宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌を迎えるにあたって』尾畑文正述。ところがつい『白道』を開いてしまった。初期研究室室長平野修師の言葉によってはじまる。(地元ではすでに有名な言葉である。)

乱暴な部屋は ついには 住人まで 追いだす
喧騒な社会は 必ず人々を 逃亡させる
混迷した世界は いつか衆生を 降伏させる
そして、世界は 無人の荒野となる

無人の荒野 そこで もとめられることは道
渺渺(びょうびょう)たる海原、 そこに必要なことは 方向
鬱屈たる山谷、そこに願われるものは 意欲

宗祖・親鸞は荒野(こうや)の人
荒野にあって 白道を歩んだ人

私達の営為が荒野の人 荒野の白道
つながることを念じて 小誌を発刊するものである
初期研究室室長 平野 修

2009年6月に発行されたこの12号は小野連明師が研究室室長である。『教行信証』について行巻を中心に、まず流罪等の背景をふまえて話されている。

普通に「すてて」というときには、「捨」の字を用います。法然が自分の回心を語っているとはには、「捨」を用いていますが、親鸞は「棄」を用いています。これは意味が違うのです。「捨」の字は物を捨てるというときに用います。(略)「棄」というのは、自力の計らいが自分の内側から打ち砕かれていくという意味があります。(略)親鸞が自力雑修雑行が仏道において無効であるということを知るためには、自力を尽くすという歩みが必要であったかと思います。
小野蓮明師(金沢教区教学研究所発行『白道』)

帰宅したお兄ちゃんに今日どこ掃除した?と聞かれ、カチカチ、ブルブル。まさか『白道』を読んでいて、掃除しませんでしたといえない(冷汗)。ということでお御堂は明日午前中掃除機をかけことにする。あたふたしていたらウサギに本をかじられた。