NHK「鬼太郎幸せ探しの旅−100年後の遠野物語」より

現代人が忘れたもの、それを探すようなテレビ番組を見ました。
「鬼太郎幸せ探しの旅−100年後の遠野物語遠野物語は今から100年前に民俗学者柳田国男が書かれ、河童、天狗、座敷わらし、雪女…

その遠野物語に憧れたのが「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる。妖怪は意外に面白いという。いじくりまわしていると面白い。昔の人も想像したり作り出したりしていたと思う。妖怪には祖先の霊がこもっているから、その中に何というか目に見えない真実とかいろんなものが混じっている。

遠野は、岩手県にあります。美しい田園風景や山々、そこには100年前に柳田国男が目にして遠野物語に描いた光景と変わらない風景があります。

お盆には、鯉のぼりのような高い棒に、白や赤の旗を立てる。これはこの三年間に家族が亡くなった家が立てる旗で、亡くなった人がお盆に迷わず帰れるように目印として立てる。遊びに来ることを待つ。赤い旗は子どもや女性が亡くなった時。
遠野物語にも、お盆の時期になると、白や赤の旗が魂を招くためにひらめいていることが書かれています。

見ておったらお供えが「ところてん」。他にはきゅうり、人参、なす、こんにゃくがこれくらいの大きさに切ってあって、その上にどばっと、ところてんをかみを整える。」といわれた。亡くなった人をお仏さまという。お盆は、亡くなった人やご先祖様を思う時間であり、また、共に生きる時間。

お盆が終わったら、ぶりの新巻のようなわらで巻いもんに、きゅうりの馬(乗って帰る)と、帰りに食べる弁当のようなもの(きゅうりの切ったもの、玉ねぎとソーセージの炒めたもの、蓮の葉にくるむ)、それに線香をつけて、川に流す。遠野では昔から川は極楽につながると思われていた。

近くの寺でも、その年に亡くなった人、40人くらいだったと思いますが、その人らが乗るでかい龍の船をわらで作る。住職だけでない地元の若い人らち、力がある若い衆たちと皆で作る。ある村人は、前の代からずっとやってきたことだから引き継ぎたい、自分もいずれそうなる。その時に(この風習を)残したい。お盆が終わると火をつけて、僧侶の読経のもと大きな炎の龍の船は川を流れる。橋の上からたくさんの人に見守られていた。
亡くなった人の遺影が寺にある。ここに遺影を持ってくればその人の魂にあえると信じられてきた。魂は目に見えないけれども、いろんな方法であおうとしてきた。魂の存在を身近なことにしてきた。

柳田国男はこう記す、「日本人はお盆に帰ることを信じて亡くなっていった。その時ばかりでなく、日常においても、故郷の山々の上から後の世の住民の幸福をずっと見守っていることができた。」

遠野物語は外国に向けて書かれた。それは近代化の中で外国ばかりに目が向いている日本人に、忘れ去られてしまわれそうになっている大きな価値観を示した。秋には祭りが行なわれる。山の神、田の神、子宝の神、神様を喜ばすための様々な踊りが舞われる。

それでは人間と神様がどのように結びついていたかということですが、農家の守り神、「さん」のお宅にあるオクナイさま。家の奥におられる。ある時、田の代搔きに(田植えの準備)に人が足りなくて困っていた。すると(遠野物語では小僧が)手伝ってくれた。お昼に一緒にご飯を食べようと声をかけようとしたがいない。「もしかしたら」と家に帰ったら、玄関から奥まで泥で汚れていた。神様の腰より下は田の泥に汚れていた。そういうことが書かれている。それは100年後の今も見ることができる。「○さん」というおばあちゃんは、「オクナイさまは先祖から代々受け継いだもの」だといって、「最近、これまで興味がなかったお嫁さんが気にかけるようになってきてお供えをするようになってきたからうれしい」と言った。現代も脈々と受け継がれている。

柳田国男に憧れて、全国で収集した、集めた妖怪の姿を絵にした水木しげる。「軍隊でいきなり前線に行かされると何かを信じていないと生きていけない感じ、(目に見えないもの)信じることで幸せに近づける、不安や動揺だと生きていけない感じ。」なんでそんなことを言うのかなと思って見ていたら、ラバウル最前線で戦った。水木しげるは片手がない。その時に爆撃で片手を失った。帰ってきて、マンガ家になろうと思って、何を書こうか、柳田国男の妖怪が書きたいと、30歳から書く。そこには、先祖崇拝、神々への信仰、自然への畏怖という、人間の古くからの営みが示されていた。(続く)