寺に住む「寺族(ジゾク)」

今日坊守会会計を引き継いだ。順番なんだそうだ。断る理由もない。実は坊守でもない。しかし、それはいいんだそうだ。そのうちFさんあたりから強烈なスカウト受けるだろう。まあそれも仕方ない。
20代のころは抵抗があった坊守会だけど、今は女同士のおしゃべりも楽しいなとも思える。寺に住むもの同士だからわかることもある。且つ婿殿たちが「寺族(ジゾク)」と揶揄するのもわからんでもない。

最近「はなれ」をリフォームした。もう90%出来ている。設計士さんがにっこり笑って「ここに、広いタイプの、こう肘でも押せば電気が付くスイッチがつくよ」といった。「ああ、私もいずれは歳をとるからね。」といったら、「何を言ってるの、お参りにきたお年寄りが押しやすいでしょ。」と彼はいった。
おそらく「はなれ」に「上がる」のは、設計士さんがイメージするお寺に参りに来るお年寄りではない。祠堂などでお斎についていただくことがあったとしても、スイッチは私がつける。「はなれ」という場の「貴族性」。こういうのが普通だったりするのが「寺族」という言葉で毛嫌いされる感覚なんだろうなと思った。
あんまり働かない脳みそだが、この時ばかりはフル回転し、「そうなんだ、ハイカラやね。」といった。

追伸:「寺族(ジゾク)」という言葉に抵抗など感じずに、「寺に住むもの」というような意味で使っている人も大勢おられる。私は前期修練の班担先生がそのことを強く提起されたので、今でもこだわって考えている。