犯した罪に絶望するもの

しかし、デスペラードと呼びかけられる人とは一体どんな人なんだろう。と今日も漠然と考えていた。絶望する、ならず者―罪を犯したもの―他を傷つけたもの―嫌われもの―犯した罪に絶望するもの。ならず者は『広辞苑』にどうにもならない者と書かれていた。

Desperado, why don't you come to your senses?
You been out ridin' fences for so long now
Oh, you're a hard one
I know that you got your reasons
These things that are pleasin' you
Can hurt you somehow
デスペラード,目を覚ましたらどうだい
もう長い間フェンスの上に腰掛けてるね
頑固者だね,君は
自分なりの理由があるのはわかるけど
君が楽しいと思っていることが
本当は自分自身を傷つけているんだよ
http://www.eigo21.com/03/pops/desperado.htm より

なぜそんな言葉が気になるのかがやっとわかった。「デスペラード、あなたのことだったんだね。」と言ったら、「俺は絶望なんかしていないよ、いつかきっと破滅しようという望みがある。そして今日は買ったばかりのTVゲームで遊ぶという希望がある。」といって笑った。

祇園精舎の鐘の声(『平家物語』)」の祇園精舎は地名で、別名「祇樹給孤独園」という。祇樹給孤独と呼ばれた人が、うちひしがれた孤独な人々のためにその園をひらいたのだと聞いた。阿弥陀経舎利弗をとおして身寄りも無く、さげすまれた孤独な人が仏の言葉を聞いている。

デスペラード、念仏せよ。
その念仏は、自分の思いによって自分を傷つけるような生き方をもうやめようと、そしていつでも愛されているんだよと、あなたに呼びかけるものの声を聞くことなのである。一人で泣かなくていいんだよ。
なんてねぇー、言えないのでここで独り言。親鸞聖人は、始まりが無いほどの深く重い罪を生きていると、人間の存在を言い当てた。