戦争体験

永代祠堂経法話ご満座。前にアップした、法話の原稿の一部は使われることがなかったが、大変貴重な場となった。

テレビを観ていると、「いい言葉・感動すること」をしきりに求めている気がしてなりません。たくさんの情報量のなか、「一喜一憂」という言葉があるけれど、民放は一喜一喜一喜一憂くらいの割合で、「刹那的な」(その時だけの)一度感激したらすぐ忘れるような、「一喜」を積み重ねている。積み上げた本が崩れるように、いつか倒れるでしょうね。
NHKがいいとは言いませんが、民放のげらげら笑っているのの多いのに疲れることがあります。こどもの頃、おばあちゃんは玄関の横の三畳部屋の自分の部屋で時代劇を観て、じいちゃんと妹と一緒にいつもテレビを観ていて、たいがい、じいちゃんは国会や相撲やらニュースやらのNHKを観ていました。この前ふと、自分がじいちゃんみたいだなぁと、思いました。話がどうでもいいところへ行ってしまいました。

そしてですね、「いま聞かなければならない」と。語るのが辛くて、今まで語られてこなかった、でも戦争体験者が高齢になってきた。今しか聞けない「最後の機会」として、英雄伝でない戦争体験がようやく語られている気がします。

娘の小学校は8月6日に全校登校日で、この日はヒロシマの原爆投下の日ですね。思えば、昨年もここで、一年生の登校日に「折り鶴」という歌と、「戦争」ということを学校で聞いてきたことを話しましたときに、8月6日はヒロシマの日で、三日後の8月9日は長崎に原爆が投下されたのだということ教えていただいたことを思い出します。

今年は富山の空襲の体験が語られていたようでした。読み聞かせ専門の方が来て、全校生徒と、先生全員に、話してくれていました。終わると教頭先生がみんなに感想をたずねた。たくさんの子がすっと手をあげて、
「○○さんの家族が無事でよかった」「戦争は絶対してはいけない」
など、子どもたちが感想を述べていたのを聞きました。
娘にも聞いてみましたが、この二つを言ったので、覚えていたのですが、「○○さんの家族が無事でよかった」というのは率直な言葉だと思います。私ならそうは思わないとは言いませんが、なんとなく・・・、上手いこといえませんが、みなさんどうですかね・・・

それで、8月6日の登校日までに一つ宿題がありまして、おじいちゃんおばあちゃんに戦争の体験をインタビューしましょう、というものだったのですが、
うちのじいちゃんはもう会話が成り立ちません。
若い頃、自分の目の前で軍隊長が撃たれてなくなったこと、もやしみたいもんばかり食べていたので、もやしが大嫌いなことを何度か聞きました。
以前、ベトナム戦争米軍帰還兵のアレン・ネルソンさんが語ったこと、子どもたちに戦争の話をする時に、怖がらせたくなくて、人殺しだと嫌われたくなくて、

私は統計学者や評論家のようなおおざっぱな数字やピントのぼやけたイメージを使って、きれいごとばかりを語りつづけました。

そういう言葉を思い出します。

私の村には戸数50軒の小さな村に寺が二つありますが、昔からケンカすることもなく今に至ります。あらためて考えると本当にうれしいことです。お互い頼りにして大切に思っている。隣お寺は村の真ん中でそこで夏休みになるとラジオ体操をします。今でもラジオ体操の後、正信偈のお勤めの練習をします。私の小さい頃はお話もあったように覚えています。今年からは私も少しお勤めの練習のお手伝いをしています。

そこでお隣のお寺さんに、私の娘のような、じいちゃんばあちゃんに戦争体験を聞く事ができない子どもたちのために、戦争体験を語っていただくことにしました。

お話をいただいて、娘が書いた宿題の下書きを少し紹介します。
・たべものや食事の様子
お米少し、さつまいも、えんどう、だいこん、きゅうり、小鳥をとって焼いて食べる。(子とり×)
食べるものがない、お腹がいっぱいなることがない。
・おやつ
くりやさつまいもやさとう、えんどうまめやだいこんやきゅうり(どろぼう)
・生活の様子
電球は台所に1個、お御堂に1個。びゅーっとひっぱると言っていました。
・学校の様子や勉強の様子
冬はわらの靴。ノートに戦争のことが書いてあったら墨で塗りつぶし。
男と女の席が分けてある。
運動場に芋を植えて、収穫し、食べた。運動会では周りを走った。
学校へ行く道に豆を植えた。
・どんなことをして遊んだか。
男―帰りに川で魚とり。かえるのしっぽにわらを突っ込んで膨らます。トンボのしっぽにストローをさして飛ばす。
女―おはじき・パッチ(めんこ)
冬―家でかるたやパッチ(めんこ)
・戦争の体験
(お寺さんの前は道があって田んぼが続いてゴルフ場の山があります)
あの、ゴルフ場の山が、赤くなっておじいさんが、隣の富山の空襲だと教えてくれた。こわかった。
(休憩)
休憩から帰ると、おばあちゃんたちがそれぞれに戦争で辛かったことを語っていた。食べるものがなくて、「弁当を見せてみぃ」といわれ開けたら小さな芋が一つ入っていた。
私は思い出すのも辛くて語りたくない。・・・

n:先ほど私は、「○○さんの家族が無事でよかった」という言葉について、率直な言葉だと思いますが、私ならそうは思わないとは言いませんが、その感想が素直によしとは言えないで、
どうですかね、みなさんはその時代にそんな言葉をいえなかったと思います。隣の人が息子を失って泣いている、というのが日常だったと思います。

学校へ行ったらね、しょっちゅうお弔いをしたのよ。

私は工場で働いてね、胸にみんな血液型の札をつけてね・・・(涙) 血液型の札を・・・。

一生懸命にね、辛かった・・・

私も工場で働いたわ。

n:戦争で亡くなった人、戦地で戦って亡くなった人ばかり言われてきたが、そんな工場も的になって、たくさんの人が亡くなった事を聞いています。ところがそんなことは、つい最近まで私は知りませんでした。
どうですかね、急速に、いままで辛くて語られてこなかったことが、テレビで特集され報道されていると感じませんか?

本当にね、急に多くなったね。

私も最近見たわ、辛くて泣いたわ。90歳のおじいちゃんがね、戦場で、食べるものがなくて、がりがりにやせて弱った仲間をね、これ以上苦しませたくないと、隊長が殺すんだと、泣きながら語っていた。

そのうち「あら、法話の時間無くなったね。」と、おばあちゃんたちは口々に言った。

n:いいえいいえ、こんな大切な話は他にはありません。いのちの問題です。今日はみなさんから大切なお話が聞けて私も本当に良かった。戦争の体験は話すのも辛い、けれどもその体験を聞いた子どもたちは、すっと手をあげて、「戦争は絶対してはいけない」そういうことをきちんと考えて言います。だからこそ私たちはいよいよ真剣に、戦争の悲しみを伝えていかなければならないと思います。