「実は」(親友へのメール)

ビデオ「日本昔ばなし」の「念仏の鼻」を言葉にするのを手伝ってくれてありがとう。やまんばが泣いたような念仏を私たちは聞いたことがあるか、それどころか今念仏が要らなくなっているということ、あちこちであの話から法話を始めました。
さっきの言葉、「あんたが今話しているのは、佐野ちゃんのパクリ。」ってのすごい感動したよ。本当にそのとおりで、昨年の11月に「末法仏弟子」ということを佐野さんに聞いてから自分がずっと考え続けてきたことをこの一ヶ月以上ずっと話している気がする。もう「念仏の鼻」を話すこともしばらく無くて、今月10日で法話の日々は終わるから、実はなんだか寂しいようないろいろな感情を抱いているんだけれど、


実は「私なんのために、何を話してるんだろう」って愕然と思う日もあったけど、聞いてくれる方に勇気づけられて今日まで来たよ。いつも「私なんかでいいのかなぁ」って思いながら。


最後の日は、今日指摘してもらったことと、佐野さんが「それで今はどうなのか」といったこと、「なんかわかったような気になって留まっていたくない。」って話すことにします。感謝。