かあちゃんらちの会話

娘を連れてお参りに行く。奥さんとおばあちゃんと参ってくれた。おばあちゃんはうれしそうに「寒かったやろ」と娘の背中をなでて、描く絵を褒めた。


一ヶ月に一度くらいは「もう一人がんばって!」といわれる。いろんな返答をするけれど、昨日は「弟・妹をほしがるでしょ?」といわれた。「ええ、そうだけど、もう私がイヤで、三歳くらいのがぽんと産まれてくるといいんだけど」といったら、「ほんとそうやね、大きいのがでてくるといいんだけどね」と言われた。そんなふうに同調してくれた人ははじめてだった。


児童虐待事件が過去最多なのだという。「一歳くらいの子への虐待が多くて、三歳五歳になると半分くらいになるんやと。一番多いのは実の母親、次に父親、それから母親の彼氏なんやと。」奥さんと私は「わかるわ」と口を揃える。奥さん「ニュース見とってもほうやね、一歳くらいの子は泣いてやかましいし、こっちのいうこともなんも伝わらんみたいし。」私「山に棄ててこようと思ったこともある。」といったら、奥さんが「ほやね、後ろはすぐ山やしね、置いてきてすぐ取りに行くんやろね」といって笑った。虐待については「うちらみたい田舎のもんも気をつけて地域の人みんなで、母親にちょっとした声をかけるとか子どもを見ていかんなんね」と言っていた。


妹も母も安産だった。私は持病のお陰で妊娠中も出産も産後も本当に辛かった。保育器から出たあとも病院に通って鉄分などの薬を飲んで採血して検査して、の日々だった。父が死んで私がとても不安定だったからか娘も神経質で不安定で育てるのが辛かったことを今でも思い出してぞっとする。


帰りしな、玄関で奥さんがふと「お産の時の痛かったことを覚えている?」と声をかけた。「覚えとるよ、ひどかった。気を失ったよ。」と私は笑った。奥さんは顔をしかめて「私もひどくてね、お産も産後もひどかったの」とおっしゃった。「何人(子どもが)おられるの?」「私は二人、どっちもひどかった。二人とも脳性麻痺だったのよ、整肢学園に3年通ったの・・・。」


石川の整肢学園には神様がいた。神様と呼ばれる人がいた。奥さんが整肢学園に通った頃はこの辻先生がおられたのだという。「暗い顔して一生懸命通ったのよ」と奥さんはいった。「平和町やったね、遠いね、私も行ったことあるよ。」姪が股関節脱臼の疑いがあったり、以前勤めていた施設が整肢学園の系列だったので思い入れが深い。「東金沢の方にも新しく出来て、いったことがあるけれど、子どもも親も誰も暗い顔をしている人はいなかったよ、親が不安そうだったら子どもは余計に不安やもんね」といっていた。神様が残してくれた空間が今でもそこにあると感じている。


「この子は自分のいのちに代えても・・・って。本当に大変やったね。子どもさんはおうちにおられるの?」「なーん(すっかり大きくなって)『ほんなことあったかい?』みたい顔しておるよ」と上の部屋の方を指差した。「うちはまだかわいらしいよ。」地震があると、娘は迷うことなく胸に飛び込んでくることを話していた。「なにが山に棄ててくるこっちゃいね、大事なもんや(笑)」「ほやね、大事なもんや(笑)またお参りに来ます。」


児童虐待事件が過去最多 毎日新聞2月21日11時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080221-00000041-mai-soci