演題は『親鸞聖人のことばに聴く』

U地区老人会の講話の演題を今月中に決めて欲しいということだったのでずっと悩んでいたが、ようやく今日決定し電話をかける。演題は『親鸞聖人のことばに聴く』。もちろん『聴く』にこだわりがある。漢和辞典では、「聞」と「聴」について類義語として

ともに耳で聞くという意味があるが、「聞」は耳に聞こえてくるという非主体的な結果をいい、「聴」はきこうとする主体的な意思による。(「大きな活字の 全訳 漢辞海」三省堂

また、なりたちについて

聞 ― 説文(形声)きき知る。「耳」から構成され、「門」が音。
聴 ― 説文(形声)きく。「耳」「得る」から構成され、「壬」が音。釈名「聴」は「静」である。静かにして、その後で、聞くことが審(つまび) らかになるのである。
(「大きな活字の 全訳 漢辞海」三省堂

と書かれている。「ことばの前に身を据える。」といった人のことを思う。聞くというのも力が入っていなくて魅力的、「諦らかに聴け諦らかに聴け」、「聞思して遅慮することなかれ」・・・一つ一つたずねていくのも興味深い。


そして『に』に、もっともこだわりがあると言っていい。私たちは親鸞聖人の言葉を聴いて善い悪い言っているが、そうではない、親鸞聖人の言葉に聴く、私の日暮、姿を。私をいいあてられるのが親鸞聖人の言葉なんだと思う。
演題をやわらかいものにしようとして意外に難儀した。ゆっくりあたためようと思う。