実如上人と儀式(聞書4-6)

同朋大会 太田浩史師講義メモ4-6
『実如上人と儀式』・・・新宗教団の創始者は実如上人?真宗にとって儀式はなんでしょうか?

資料
永正十七年元旦より儀式。
(草野顕之『戦国期本願寺教団の研究』4年法蔵館)

これまで地域ではしていたが、全国共通の儀式になったのは蓮如滅後20年、実如上人の時代に始まる。


仏恩報謝のための儀式か?

資料 (原文はカタカナ)
当家の声明は弥陀直説の梵響きにして、遠く濁世の迷闇を晴らし普く甘露の法雨を注ぎたもうなり。その意密を知らずして世挙て皆一概に自己の仏恩とのみ心得募る、その心根を探り発(あば)かば、尽く通途余門の意に同じくして自力の機執よりついに阿諛(へつらう)追従の作業に堕す。
(本宗寺真証『稟承余艸(ほんじょうよそう)』「勤行声明之事」天明八年八月口授)

本山が焼けたときに書かれたのがこの『稟承余艸(ほんじょうよそう)』両堂再興というが、両堂は声明する場を建てるのである。同朋唱和の場所を再興するのである。
声明は阿弥陀さまの助音(じょいん)をする。だから声明は聴聞といわれる。弥陀の声を私が聴聞するこれを他力。対して自力の仏恩報謝、これはいうたら仏の奴隷です。法事や葬式が仏へのゴマすりになっている。そうでなくて。補足の法話、そしてその後に語り合う、それが仏事です。