女性による仏教イノベーション(聞書3-6)

同朋大会 太田浩史師講義メモ3-6
『女性による仏教イノベーション』・・・多屋内方とお講の誕生、真宗再興は女性がやった?


多屋内方(たやないほう)の事なのですが、まずこの、見玉尼は蓮如の娘、浄土宗の尼さんだったが、おばさんが結核になったので看病していて結核がうつった。死の病。病の身をおして父に会いに吉崎へ蓮如当年の夏のこの頃は、疑いを晴らして信心決定をねがう。

資料 (原文にかっこはありません)
そもそも当年夏このごろはなんとやらん等・・・此一通は文明五年(ママ、見玉尼四年に亡くなる)四月二十五日に、連師の御息女見玉法女と云へるが御病気にて多屋の内方達、御伽(おとぎ―一緒にいる)をせられけるが、この節看病の人々をご教化の為に撰述あそばされて、彼女中の中へ投遣玉ふご文章なり。・・・

彼女中の中へ投遣玉ふご文章なり。―本堂に話に行きたいが、感染するのでいけない。それで、お手紙でやり取りをする。蓮如は部屋にぽーんと手紙を投げ入れる。

資料(続き)
見玉法女は蓮師気の毒に思し召て、折節四月下旬睡(ねむた)き時なれば、御身の上になぞらへて、此一通を認め玉ひ、御伽せる女中の座敷へ投遣玉へば見玉法女も其外の衆も、是を拝読して礑(はた)と驚き勇み進んで、其より仏法の物語をし、領解の趣き互いに談合し喜び玉ひぬと云々。
(釈慧忍『御文来意鈔(おふみらいいしょう)』ヨコノ書店 平成8年)


多屋内方たちが看病してくれて話し相手になってくれるが、私たちも病気の人を見舞うときはだいたい世間話ばかりなように、世間話ばかりしている。見玉尼は蓮如の言葉を聞きたいからと、10人の人に聞いてきて教えてもらうように頼む。ところが聞きにいった10人とも違う話をする。それは意巧に(いぎょうに)得手に法を聞くので、起こること。自分の身に聞き、心に聞く、ごぼはんがどういうとるのかでない、みんなが自分がどういただいたいておるか、という話をお互いに語りあった、談合、お講の誕生


帖外の御文、見玉尼の一周忌の御文、帖外にしなければよかったのに!すごくきれいな情景が書かれている御文。

〔見玉の御文〕(原文はカタカナ、原文には「゛」はありません。「を」―「お」、「ひ」―「い」に変更。)
・・・(見玉尼は)ことに臨終により一日はかりさきにはなおなお安心決定せしむねをまうし、また看病人の数日のほねおりなんとをねんころにもうし、そのほか平生におもひしことともをことことくまふしいたして、ついに八月十四日の辰のおわりに頭北面西にふして往生をとげにけり。されば、看病人もまただれやのひとまでも さりとも とおもいし いろのみえつるに、かぎりあるいのちなれば、ちからなくて無常の風にさそわれて、加様にむなしくなりぬれば、いまさらのようにおもいて、いかなるひとまでも感涙をもよおさぬひとなかりけり。


見玉尼の看病をしていたが、自分たちが話したことがきっかけになり、見玉尼は信心を獲て目の前で亡くなっていく。みんな深い思いをいたただく。

資料(続き)
まことにもってこの亡者(亡くなった者)は宿善開発の機ともいいつべし(信心の人である。)。かかる不思議の弥陀如来の願力の強縁にあいたてまつりしゆえにや、この北国地にくだりて往生をとげしいわれによりて、数万人のとむらいを えたるは、ただごととも おぼえ はんべらざりしことなり(結局最後に見玉尼に仏縁を結んだ人は数万人)。


これについてここにあるひと(蓮如)の不思議の夢想を八月十五日の荼毘の夜(八月十四日になくなった)あかつきがたに感ぜしことあり。その夢にいわく、所詮葬送の庭において、むなしきけむりとなりし白骨の中より、三本の青蓮華出生す、その花のなかより一寸ばかりの金(こがね)ほとけひかりを はなちて いつとみる。(夢に白骨の中より三本の青い蓮華が出生し、金色の仏)さて、いくほともなくして蝶となりて うせけるとみるほとに(仏があれよという間に蝶になって消えうせた)、やがて夢さめおわりぬ。これすなわち見玉といえる名の真如法性の玉をあらわせる すがたなり (見玉の本性は仏) 。蝶となりて うせぬとみゆるは、その たましい 蝶となりて法性のそら極楽世界涅槃のみやこへ まいりぬる、といえるこころなり、と不審もなく知られたり(まちがいない)。


これによりて、この当山に葬所をかの亡者往生せしによりて ひらけしことも、不思議なり。・・・(中略)・・・しかれば、この比丘尼見玉このたびの往生をもって、みなみな真に善知識とおもいて、一切の男女にいたるまで、一念帰命の信心を決定して、仏恩報尽のためには念仏もうしたまはば、かならずしも一仏浄土の来縁となるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明五 八月二十二日 書之
(「諸文集」『真宗史料集成』第二巻)

このことより須弥檀収骨がはじまりました。このころ男性は一揆の相談ばかり、政治ですね。見玉尼たちを見習ってこれに続けというわけです。


◆講義はさっと次にうつったように思いますが、上記が真宗再興の中味である「談合―語り合いを儀式とする教団」。それは実は女性たち「多屋内方」(たやないほう―詰所で炊事洗濯などのお世話をする女たち)が聞いた事を自分の身に聞き、心に聞き、どういっていたかでなく、一人一人が自分がどういただいたいておるか、という話をお互いに語りあって、談合する、そんなお講の誕生があったことが真宗再興となる。(男性は何をしていたか・・・)


(続く)実如上人と儀式・・・新宗教団の創始者は実如上人?真宗にとって儀式はなんでしょうか?