聞法会へ行きたい。

気付いたら娘とか家族がいない、暇だ、こんなときは心置きなく聞法会へ行きたいもんだぁ。しかし、日曜の昼というのはありそうでないものだ。ということで、やりかけになっていた「金沢 竹中智秀先生を偲ぶ会」の大谷専修学院院長弧野先生の法話メモ後半を貼りました。
このお話について、テープ起こしをげんちゃんに申し出た。だからそのうち間違いがあればはっきりするだろう。現段階では意味不明なところもありますかね。でも、私はこのように聞きました。

特に晩年の先生は、若い人の耳にたこが出来るくらいに三つの言葉をおっしゃった。
一つは阿弥陀如来の本願を「えらばす、きらわず、みすてず」と簡潔に、繰り返し伝えてくれました。もう一つは「はじめに尊敬あり」。「えらばす、きらわず、みすてず」の阿弥陀如来の光に触れたものは、現実の人と人とがぶつかり合う真っ只中のなかで「はじめに尊敬あり」といわれた。三つ目は「だからこそ」というお言葉でした。
「えらばす、きらわず、みすてず」そんなことができるのかなと思うが、「はじめに尊敬あり」聞くとこころ開かれてくるものがある。その二つの言葉を生活の現場でその人を大事にしようとする、ところが現実の現場で吹っ飛んでしまう、「だからこそ」。
「金沢 竹中智秀先生を偲ぶ会」の大谷専修学院院長弧野先生の法話メモ後半より

のところは聞いていて涙が流れました。こうやって起こしていても。竹中先生、弧野先生、ありがとう。「だからこそ」をやらないことが多くなっている。