金沢 竹中智秀先生を偲ぶ会2 感話メモ

配布されたパンフレットには竹中先生の30代くらいのお姿の写真がありました。私はまだ生まれていないけれど、この写真を「懐かしい」と思われる方もたくさんおられた。


勤行の後、三人の方が感話した。2005年本科2006年別科生だった長井さん、指導(先生)の経験がある倉谷さん、そして同窓生学習会である「青草ひとの会」会長で1992年度まで指導をされていた渓内先生。


長井さんは竹中先生が亡くなった時に学院生だった。悲しみはひとしおだろうと思う。当然うるうるしながら聞く。


倉谷さんは(久しぶりに話をきいたけれど)やっぱり個性的、学院で「あなたはなんなのか」と問われた、本(夏目漱石)を読むことを勧められたことを話していたように思う。


渓内さんはあのもぞもぞ感がすごく懐かしかった。聞いていて泣けた。以下メモ。


若いときの竹中先生はぜんそくでとても体の弱い印象しかなくて、「この人いつまでもつかなぁ」と思っていた。


昨年大きな仕事(出版、北海道スクーリング、結婚式晩酌人)をしていただいて、負担になったろうと思っている。調子が悪そうだったので、「先生、大丈夫ですか」と言ったら「私は大丈夫、あなたは大丈夫ですか、」とおっしゃった。あの人はいつも周りを気にかける人だった。


何度も繰り返し聞いた「選ばず嫌わず見捨てず」「お互いに信頼関係を持って」そして「念仏相続を」いつもその言葉で終わっていかれた。
いつも「あなたは誰なのか」という問いを持っておられた。まさに念仏相続に・・・


昨年の北海道のスクーリングでは「生涯に念仏相続にまい進してほしい」とおっしゃっていた。その時体調すぐれなかった、北海道の『教行信証』スクーリング。そして今年三冊、本を発行する準備をしたのが最後の仕事となった。


「私は法蔵菩薩です」と名のれる様になってください、ということ。
遺言として、最後にもう一つ。私が専修学院を辞める時に先生からいただいた色紙に「地獄・・・、地獄をになえ、地獄から逃げるな」と書かれています。そういうことが私に対する遺言か。念仏相続の願いを生きた方。