「端午の節句」は罪福心

佐野さんと話していたことの続きで、蓮如上人は、端午の節句(こいのぼり、カブト)・桃の節句(ひなまつり)・節分(豆まき)・正月などというのは真宗門徒の行事でないとはっきりしていたということだった。「なんで?」というと「それらは罪福心だから」と教えてくれた。(見た事があるけれど、どこに書いてあるのか忘れました、どなたかご存じないですか?)


「罪福心」というのは、「罪」はだめ「福」はよし、という心。


男の子は、強くて立派な人になれ、女の子は、強くて立派な武士や公家に嫁ぎ、お世話のもの下々を従えることを幸せとする、目標とする。


その福を求める気持ちから、排除されるものが出てくる。排除するのは他人か、自分か。やっぱり「ひな壇」は一生買わない。娘が今年も「こいのぼり付きのお菓子」を欲しがったらがんばって話し合うことにする。偉くて立派になっていくことを幸せの目標としてもらわなくていい。もっというと、幸せも求めるような生き方よりも、もっと大事にしていって欲しいことがある。